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Channel: 櫻木光 | クリエイターズステーション
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自然は過酷だなあ

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自然は過酷だなあ、と。

NHKに「プラネットアース2」という番組があります。 この話は放送を見た次の日から、会う人会う人20人くらいに興奮して話し、フェイスブックにも書いたりして、僕の身近にいる人にはまたその話かよ!って感じかもしれませんがお許しください。

その「プラネットアース2」
どんな番組かっていうと、イギリスのBBC放送と日本のNHKが共同で、地球の自然と動物の生態を、ものすごい予算と、ものすごい機材と、ものすごい時間をかけて、 スタッフが根性で撮影した映像の記録ですね。
昔、野生の王国って番組がありましたが、あれの高精度版です。
10年ほど前に始まったプラネットアースという番組がすごかったのですが
その続編。名前の通り。

どんな感じかというと、例えば 川岸にヌボーっとカピバラが生活していると、それを狙って体長3メートルのワニが水の中に潜んで近づいて来ています。カピバラはヌボーっとしているから気づきません。 そこに森で最強と言われるジャガーもやって来ます。ああ、カピバラ絶体絶命。
ジャガーは体長2メートル。静かに近寄って来て何かを狙っているなあと思った瞬間、川の中に飛び込んで、ワニの頭にかぶりつき、水しぶきを上げて水中でワニと格闘し その頭を噛み砕き、自分よりずいぶん大きなそれを陸に引きずり上げてもっていってしまいます。

えー、ほんとかよ。ワニが食いたかったのか?ジャガー。しかも、相手のホーム、水中で!
リスキーすぎるだろ。という様なビックリ映像の数々。
テレビを見ていてびっくりすることがあまりなくなってしまった中で、こんな驚いて興奮するような番組は久々ですね。

夢中になって見ていて思うことは、自然は過酷やなあ、ということ。
当たり前なんだけど、日本に暮らしていてそういうことはなかなか実感できないでしょ?

だから、こういう映像を撮影してくる人たちが単純にすごいなあと思う。
撮影の大変さがわかる仕事をしていて、この映像を撮影するのがどれだけ気の遠くなる様な事だかもわかります。はっきり言うと絶対やりたくない。

10数年前に、オーストラリアに車のCM撮影のためのロケハンに行くときに、行きの飛行機でたまたま隣に座ってた人がNHKのスタッフで、面白そうな資料を読んでいたので話しかけたら、 「最近開発された接写レンズを使って、アリの生態を撮影しに行くんですよ」という。
「大変ですねえ」なんて話をした事を思い出しました。
その後、僕はロケハン終わって一度日本に帰り、本番の撮影のためにもう一度オーストラリアに行き、撮影が終わって帰る時のシドニーの空港で、また、たまたまそのNHKのスタッフに 会いました。出会った時から一月くらい経っていたのです。
その人は真っ黒で髪もヒゲも伸び放題で、一見原始人。服は着てますけどボロい。
ニコニコ笑いながらこっちに寄って来て「クルマの撮影はうまく行きましたか?」と。
最初、なんで原始人に日本語で業務の内容を話しかけられるのかチンプンカンプンだったのですが、「アリですよアリ、NHKの」って
「あー、思い出した。ビックリしましたよ。アリは撮れました?」みたいな会話になりました。 「今日東京から、追加の機材が届くのでそれを受け取りに来たんですよ。受け取ったらすぐまた森に帰ります。街は久しぶりで。」みたいな話をしている。撮れてないんだな。まだやるのか。
「思った様にアリが撮れるまで帰れませんから」とニカっと笑っていました。歯が白い。

この番組もそういうスタッフの根性の上に成り立っているのは前シリーズのメイキング映像を見るとわかります。コウモリのウンコの中にカメラマンがずっと潜んでコウモリの生態を撮ったりしていたからです。

それに加えて、最近は機材の性能が格段に上がっているので、以前だと撮影できなかった様な映像が撮影可能になっていることもあります。
まず4Kのカメラ機材で撮影されている。つまり今家庭で見られているハイビジョンの映像の4倍の大きさでの撮影。質感やディテールが凄いです。
また、その画質で撮影できる小型カメラや揺れなどを止めるスタビライザー。4Kカメラを搭載したドローン。ラジコンのヘリにカメラが付いている状態ですね。
そういった撮影技術の進歩もこの番組にバンバン使われていて、見たことない様な映像が惜しげも無く見れるんです。撮影隊もずいぶん楽になったことでしょう。遠隔操作ができれば、動物に匂いを気付かれない様に、ウンコに潜んで撮影しなきゃいけない事もなくなるでしょうし。 そんなこんなで、こういう番組にはいろんな事を教えられます。
まず、撮影するスタッフの大変さ。コマーシャルの撮影なんかでなんやかんや「難しいですね」とか真顔で言ってるやつがバカに見える。
条件が違うから仕方ないんですけど、自然の驚異の中でこんな映像を撮ってくる人たちがいるんだと思うと勇気が出ます。

また、機材的な進歩と発見。イヌワシの首にVR用の360度カメラをつけて飛ばして飛んで行く様、獲物を狙って急降下する様なども現実的に撮れるようになり、そんな映像を見れたら面白いだろうなあとか。

さらには、番組の内容。
ストーリーは人間が作っているのかも知れないけれど、うまく編集されていて自然は過酷である、という事実を知る。餌の取り合い。子孫の防衛。食物連鎖。

過酷な自然で動物や自然現象を撮影しているけど、その近くにも人も暮らしているはずなんです。
そういうところで生まれて生活している人たちもまた過酷やなあ。と。

動物も過酷。 この番組じゃないけど、「皇帝ペンギン」という映画を見たときはペンギンの世の中でも男は辛いんだなあーと泣きたくなったことがあります。
皇帝ペンギンの雄は、メスの生んだ卵を何ヶ月も足元で温め続けるんですけどたまにドン臭い奴が、ゴロッと卵を落として、パチっと割れたりして。
ヤバイと思ってうろたえて他の雄の卵をかっぱらおうとするんだけど、返り討ちにあって。
メスが帰って来て「あんた、卵、どこやったのよ」とヒステリーを起こして詰め寄られ為すすべもなく立ち尽くす。というシーンがあったからです。

人間は「死ぬかも知れない」という危機感が欠如してから脳みその重さが200グラム減った。となんかの本に書いてありました。
つまり、自然との向き合い方、対処の仕方が脳から省かれていっちゃった。
自然の猛威で自分も死ぬかも知れないという感覚はわすれちゃいかんなあ。

冬にエアコンつけて、暑いとか文句言ってもう大変。
いろいろ通り越して、動物としての人間の幸せはなんだろう?とか考えてしまう様な番組でもあります。もっとやってくれ!と思います。


この男にだけは恥ずかしい自分を見せたくない。

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今年、高校を卒業して30年経つんです。つい最近のような気がしますがそうでもないんですね。

勉強が大嫌いで日々バスケをやってるだけの中学生だったのに相当無理して当時、佐賀県で一番だった進学高校に入っちゃったため暗黒時代を過ごす事になった3年間でした。全然楽しくなかった。やることなす事うまくいかなくなってイライラしていたし、真面目でガリ勉風の子も多かったので浮きまくって迷惑がられていましたね。リーゼントだったし。うまくいかない腹いせに、平気でいっぱい人を傷つけた。 なんでそんな事になっちゃったのか?

中学生の僕は、バスケでそこそこ活躍していたんだけど3年生の時に結局一回も勝てなかった相手がいました。いつも下馬評は圧倒的に優位だったにもかかわらず、本番の試合になるとなぜか勝てない。中学3年生の最後の夏に、僕らは優勝候補としてシードされていたにもかかわらず、佐賀市の大会の準決勝でまたその男がキャプテンを務めるチームに1点差で負けてしまって、突然3年間が終わりました。僕たちは小学校の頃からのメンバーで、全国大会でも2位になったくらいのチームだったのに、市の大会で終わる事になった。佐賀県大会や九州大会まで予定を入れていたのに全部パー。やることがなくなって呆然とした夏休みを過ごしました。

どうせ暇なので、近所の高校生の練習に参加してお茶を濁していたらある日、その勝てなかったライバルくんが同じ練習に参加していました。 で、そこで初めていろんな話をしてみたんですが、嫌な感じのまるでない珍しいくらいの人格者だったのです。勝てなかった悔しさや、彼らがその後全国大会まで駒を進めた羨ましさもあって僕の態度は最悪だったと思うのですが、その男は全然違っていい奴でした。

それが生涯の友人になる戸谷くんでした。

で、戸谷くんが僕に「どこの高校に行くつもり?」と聞いてきて、「県外の高校からバスケで誘いもあるからそっちいこうかなあ、と思ってる」みたいな事を見栄張って答えたら、「一緒の高校に行って一緒にバスケしないか?」というのです。「君のチームとの試合が一番辛かった。敵になるのはもう嫌だ」と。行きたい高校は佐賀西高だという。こりゃまた難しい高校。まんまと乗せられたのか、その男に誘われたのがやけに嬉しくて、そこから無理な勉強を始めて春には晴れて一緒の高校に通う事になりました。

そこまでは良かったのですが、その後の僕は転落人生。戸谷くんはいつも学業で学年トップ。僕はいつも下から二番目。ブービー賞。僕よりバカが一人いたのがせめてもの救い。赤点まみれで毎年落第寸前。バスケ部だから仕方なく留年しなくてすんだようなもんです。以前このコラムにも書いたスパルタ式のバスケ部だったのですが戸谷くんはバスケでもメキメキと頭角を現し、僕は脇役の普通の選手に成り下がってやる気もなくして、もうどうでもよくなっていました。大事なことがよくわかっていなかったのです。クソ野郎と化していた。

それでも戸谷くんは僕に対する態度も変えず、余計なお節介も言わずただ、自分のやるべき事を黙々とこなしながら、ふてくされた態度の僕を見放さずに見守ってくれていました。

高校生最後の春に、戸谷くんが「もうそろそろ真面目にやらないか?」とポツリと言ったのが身にしみて、家で布団かぶってワンワン泣いて本気になった。そう言えばこいつに誘われてここに来たんだ。夏の大会に向けて何となく昔のキレを取り戻したような気がしてきた頃に、練習中に大怪我をして、僕の高校バスケ生活はまた突然終わった。チームもまた、優勝候補だったのに予選で敗退、インターハイに行けず終わった。

その後、僕は素行不良を理由に佐賀県の国体代表選手も外され、スポーツで進学する予定だった大学の推薦もある問題を起こして取り消され2年間の浪人。もう今世は諦めた方がいいな。とすら思うほどツキがありませんでした。

ツキがないというより自業自得。

戸谷くんは有名大学に行って大手商社に就職。僕がバブルの勢いでテレビCMの制作会社に潜り込んだ頃には、ロンドンに駐在、帰国後ボストンに留学してMBAを取り、ニューヨーク勤務。島耕作か?

戸谷くんとは頻繁に会うわけじゃないけど定期的に連絡を取りながら、相変わらず仲良しでした。ダメな頃、潮が引くように人が去って行ったのに、戸谷くんだけは遠くからずっと励ましてくれていたのです。

先日、また戸谷くんが出世してニューヨーク勤務に戻るというので、二人で酒を飲みました。二人で飲むときはいつもバスケの思い出話ばっかり。もう何度やったかわからないくらい同じ話をしますが、その都度興奮するし盛り上がる。中学のあの試合の話。

彼は彼で簡単に今の仕事の地位を手に入れたわけではないのはよくわかる。多分血の滲むような努力の末に今がある。そんな感じはまるで見せないのだけど。バスケでもそうだった。朝6時から誰もいない薄暗い体育館でシュートの練習を3年間毎日やってたのを知っている。遊んで朝帰りする時にいつもこっそり見ていたからだ。あの感じで今も日々充実しているのだろう。昔からお互いの共通した思いは、あの頃のバスケ部の練習に比べたら仕事は頑張れる。金ももらえるし。である。

僕は僕で仕事は必要以上に自分にも他人にも厳しく、怒り、みんなを鼓舞して自分の出来る限り、いいテレビコマーシャルを作る事に執着した。仕事は難しく厳しかったけど、もうあの惨めな思いはしたくない、とどこかで思っているからだ。頑張らないと惨めになる。惨めは寂しいからだ。惨めな奴からは人が去る。

今回、飲みながら、多分初めて戸谷くんが言ったことがある。お互いに歳をとったからだな。「人生で一番の悔いがあるとすれば、インターハイに出られなかったことかもね」そうね。としか答えられなかった。やっぱりな、そう思ってたか。僕があの時、必要以上に頑張って、勝手に怪我したとき、戸谷くんがそれまで見たこともないような嫌な顔をしたのを思い出した。何やってんだよお前。口には出さないけど電波は伝わった。30年経った今でも、本当に申し訳ないと思っているのです。よくしてくれた奴の人生を少し狂わせたからだ。取り返しがつかない。

大人になって、仕事について、本当に一生懸命頑張って来れたのはもう二度とこの男にだけは恥ずかしい自分を見せたくない、と思っていたからだ、とわかった。薄々わかっていたけれど再確認した。中学生の頃から勝ててないのは当たり前だな。敵わんよお前には。今は俺だってあんまり負けないんだぜ。

もう二度とこの男にだけは恥ずかしい自分を見せたくない。そう思える親友がいてくれた事に本当に感謝した夜だった。そう思える親友がいる限り強くいられるからだ。

野球的感覚と働き方改革

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受験の時に、どこかの大学の現代国語の試験の例文で読んで、なるほどーと思ったことがあります。
日本になぜ野球が一番根付いたか?ということが書いてあったのです。

野球というスポーツは、幕の内弁当の文化の中にある。

もともと日本にあるスポーツは柔道、剣道、相撲、だった。
その中で一番メジャーなスポーツはやはり国技でもある相撲。
相撲は1対1の取り組みの積み重ねというプログラムで進行する。
つまり、比較的短い時間で一つの取り組みが終わると、また次の取り組みまで少し間がある。

観客は、客席で取り組みと取り組みの間のちょっとした時間にお弁当を食べ、また、取り組みが始まるとその試合に集中し、終わると、またお弁当を食べる。
これが観戦の時の楽しみ。
そんな合間あいまにつまめる、おかずの品数の多い弁当だから「幕の内弁当」というらしいのです。
幕内力士の戦いを見ながら食べるための弁当。

野球は、いろんなスポーツが日本に輸入された中でも、特にその対戦の間合いの感覚が相撲に似ていたため一番根付いた。と、その試験の例文には書いてあったのです。
弁当の食べやすいスポーツだった、と。

調べてみると、幕の内弁当の語源には、芝居の幕間に食べるから、とか、幕の内側で役者が食べるためのものだとか、諸説ありますが、本当のことはわかりません。

日本のプロ野球は1920年に始まったとされています。
100年やっていることになるんです。
WBCを見ていてもわかりますが、100年のプロ歴史のある国の代表はメジャーリーグの選手が出ていなくてもそこそこいい戦いをしますね。

日本では、特に野球を専門にやっていなくてもほとんどの男の子はルールをちゃんと知っているし、ボールの投げ方もバットの振り方も最初から知っていますからね。
レベルの高いプロの試合をいつもテレビでみる機会があるからです。

日本では、最近はサッカーが大人気ですし、バスケもプロリーグができました。
でも、ビジネスの規模としては100年運営している野球には遠く及びません。
野球は日本人にそれだけ染みついているんだと思うのです。

僕は、気付いた時にはバスケ部だったので野球をやった経験がありません。
公園で草野球的な遊びはやったことがありますが、グローブを買ってもらったことがないのです。
そういう野球を知らない人間からすると、そしてどっぷりバスケにはまっていた感覚からすると、野球が不思議に見える時があったんです。実は。

それは、「時間」の感覚です。

バスケの試合の時間は40分です。10分間を4回。ボールを持ってから攻撃する時、ボールがセンターラインを10秒以内に超えなければいけないし、超えたら戻れない。24秒以内にシュートをしなければ反則。攻撃側はゴール下の長方形の中に3秒以上留まることも反則。スローインは5秒以内にしなければ反則。
とにかく、バスケのルールは秒刻みのせっかちなルールになっています。
サッカーやラグビーも時間で区切っていますが、バスケには、ロスタイムという概念がありません。泣いても笑っても40分。きっかり。同点の場合の延長はありますが。

そういうスポーツなので、時間に沿ったゲームプランが立てやすいのです。
自分のチームの戦力と相手のチームの戦力を見て、どこまで持ちこたえたらどれくらいの時間に必殺技を出すか。うまくいった行かないで修正しながら試合を進める。「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という安西先生の名文句は、安西先生のゲームプランがあっての発言なんですね。ただの気合の話じゃない。

野球を見ていたら、野球には野球の深さや駆け引きがめちゃくちゃあって、本当に刀を持った侍と手裏剣を持った忍者の戦いみたいなんだけど、本当に面白い心理戦なんだけど、時間の感覚だけが無いんですね。何時間かかるか予想のつかないゲームなんです。どっちかが勝つまでやる相撲に近い。だから日本で根付きやすかったんだとも言えます。

野球をディスってるわけでは無いですよ。違う競技ですから。

野球はその性質上ドラマになりやすく、「スポ根」と言われる漫画やドラマで名作が数多くあります。巨人の星やドカベンが日本の発展にどれだけ貢献しているかは言うまでもありません。甲子園での高校生の全国大会はそれ自体がドラマだし、星飛雄馬や長島茂雄や王貞治を見て日本は高度経済成長期を乗り切ったんだと思います。だから、日本人の、特に今会社のおじさんメンタルは野球によるところがめちゃめちゃ大きい。

今、仕事をしていていちばんの問題なのは社員の長時間労働の問題です。
残業が多すぎて人が心と体を壊し始めている。
問題が多すぎて、ついに政府も国の方針として働き方改革に乗り出しました。
法律も厳しくなり、会社は社員の労務管理を徹底しなきゃいけなくなったしペナルティも大きいです。

経済成長を第一義としながら働き方改革をするのもジレンマがあって大変だと思うのです。各業種、各企業がどうやったら社員に残業をさせないで生産性を維持するか試行錯誤、四苦八苦している状況。
ただわかっていることは、大きく意識を変えなければいけない。

スイスのビジネススクールであるIMD(国際経営開発研究所)が発行しているWorld Talent Reportの2016年の調査によると日本の「働く国としての魅力」は、分析対象61カ国中52位なんだそうです。外国の人は日本で働きたくないと思っているらしいです。英語が通じない、とか、わかりにくい年功序列の仕組みとか色々理由があるらしいですが、理由の一位は「長時間労働」だそうです。

これから、色んなことを考えて、長時間労働の問題を解決する仕組みを作って行かなければいけないルールに変わったのです。

僕が会社に入った頃に流行っていた栄養ドリンクのCMのキャッチコピーは「24時間戦えますか?」と言うジャックバウワーのようなコピーでした。
「働け働け」が美徳だったのですが、最近は新人の社員に「帰れ」と言わなければならないような状況です。超過勤務になっちゃうから帰れ、と。
俺の若い頃に言って欲しかったぜ、と思います。仕事ばっかりやっててどれだけの恋を失ったことか。なんちゃって。

ルールが変わったんだから対処しなくてはいけません。しなきゃ退場。
ただ部下を帰らせればいいと言う問題でもありません。
時間を短縮して同じ質のサービスを提供しなければならない。
問題が大きすぎて、ずっと考えていますがまだ答えはありません。

ただ、一つ思うのは野球的な時間の使い方メンタルから、サッカーやラグビー、バスケのような時間の使い方にシフトすればいいんじゃないかと思いますね。思いますね、って、そこが簡単じゃ無いんだけれど。
どうしても染み込んでいる野球的な、できるまでやる、勝つまでやる、みたいな感覚を、90分やって残業はロスタイム分ね、くらいの感覚に変えていかないと、やっぱり仕事ってどうしてもやりたくなっちゃうから、終わらないと思うんですよね。ほんの思いつきの端っこの話なんですけど。

人間らしく暮らしましょう。と言うことなんだから当たり前と言えば当たり前なんでしょうけど。

職業が、ある程度、その人の人格を定義するとなると人には負けたく無い。
練習しなければ不安、と言うアスリート的な感覚もありつつ、時間を区切ったゲームの中で仕事をする感覚に全部が包まれたら何か変わるかもしれません。

しくじり先生

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数年前、Webのことがもう少し詳しく知りたかったので
Webディレクター養成講座みたいな講義に通ったことがある。

講師は広告業界の顔見知りみたいな人ばっかりで、教室の一番後ろの席に座っていると、
目が合って嫌な顔をされた思い出がある。
知り合いだったからだ。
講師たちの授業の内容は、自分たちの実務の中でやった仕事の例が多く、ほとんどが成功事例だった。

何の疑いもなく話を聞いていたのだが、そりゃまあ、成功するだろうなあ。
という感想しかなくなってきた。
コンテンツの内容が万人にとって興味のあるような内容だったからだ。
例えば大ヒットした漫画のキャラクターを軸にWebの施策を練る、
そういう人気コンテンツをチョイスして、お金を出して買い、形にするのも
タレントコマーシャルと一緒で成功への近道である。否定はできない。
それが面白くできていればそれでいいんだけど。

そこで、授業の後半にある「何か質問はありますか?」のコーナーで聞いてみることにした。

「えー、皆さん講師の方がお話される事例は、華々しく成功された例ばかりで、
そのコンテンツと組めばそりゃあ成功するだろうな。という話が多い気がします。
それも企画と言えば企画なので否定はできません。
ただ、そういう予算もネタもなくて新しい仕掛けをひねり出して勝負してほしい
と願われているような気がするんです。双方向で仕組みの新しいWebの世界は特に。

で、質問ですが、これまでに請け負った仕事で、そういう人気コンテンツは無いけど、
これは新しい、と思ったのに失敗した例はありますか?
どういうことを企画して、何が行けると踏んで、どう思って制作して、どう失敗したか?
何がいけなかったのか?とか、今となってはどうすればよかったのか?
そういうお話が聞きたいんですけど……」

そう聞いたら、講師が、最初に教室に入ってきて僕を見つけたときより嫌な顔をした。
そしてこう答えた。
「あのねー、櫻木さん、やめてくださいよ意地悪な質問するのは。
えー、他のみなさん、この人プロですから、すぐこういうこと言うんですよ。
いやですねえ、やりにくいんですよ。はい次の人どうぞ」と言った。

なんじゃそりゃ。俺はCM作るのはプロだけど、Webは素人ですよ。
知りたいことがあるから金払ってここに来てるんですけど、と思ったけど言わなかった。
また嫌な顔されるからだ。

しくじり先生という番組がある。
「人生を盛大にしくじった人から『しくじりの回避法』を学ぼう!」を基本理念に、
なんかで失敗してそれまでの地位や名誉を一気に失ってメディアから消えた「しくじり先生」が、
自分と同じ失敗を他人が犯さないように(芸能人やスポーツ選手が出てくる事が多いのだけど)
学校の先生という体で、自分の失敗を教科書にまとめて、レギュラーの出演者の生徒たちに講義をする。という構成になっている、という番組。
この番組が、そこはかとなく深いのです。

出演者には本当に壮絶な人生の人も居る。見ていて泣けてくるときもある。
なにがこんなに泣けてくるのか考えてみた。
こんな人がこんな目に!?と、話がすごいときもあるんだけど、
実は、その教科書の構成がすごいのが解る。

その人の成功から失敗、どう思って判断して何が間違いだったのか?
これからどうするか?という事が書いてある。
番組の性質上、しくじりの綿密な分析が必要になるからだ。
この「何が間違いだったのか?」に気づくのが難しいんだ、と思う。

失敗するだけだったら誰でもできる。
そのまま消えてっちゃう人は、失敗して、諦めたり逃げ出したりで終わる。
がんばりが足りなかった、ということで片付けられてしまう。
人には努力も忍耐も怠慢もあるが、運も不運もツキもババ引く事もある。

ただ、なんというか、うまく行っているときに、それがずっと続くと勘違いし、
「根拠の無い自信」みたいなもんに身を任せた場合に大きな失敗は起きる。

「しくじり先生」の教科書にはそういった人間の弱さ的な失敗が分析してある。
変化しなければいけない限界点で変化できなかった話。
それが面白いというか、面白くないのだけど、すごい勢いで腑に落ちる。
思い当たる節がいくつもあってとても他人事とは思えない。

それより何より、たいした失敗をしなくても、人の調子のいい時期なんて、
一生のうち、せいぜい10年あるかないかである。
どんなに努力して独自の世界観を見いだしても、
世の中のシステムも気分も10年で信じられないくらい変わるようになった。
自分自身だけの話ではないからだ。

自分に何かを仕事として発注してくれる人も年をとる。下から若くてやる気のある奴らが
どんどん出てくる。テクノロジーも変化してマシンのパワーもスピードも上がる。
成功して一度うまく行った人はそのことに気づきたくない。
下降していく自分の勢いから目を逸らす。
という失敗をする事になる。

人のせいにも、社会のせいにもせず、自分の失敗は失敗だったとちゃんと受け止め、
もう手遅れかもしれないけど、失敗は冷静に分析してみる。
勘違いから我に返る自分を、恥とともに受け入れる。
逃げ出したり諦めたりせずそれでもまだやり返してやろうと思う。
それが「がんばる」ということの本質なんじゃないかと思う。

学校でその業界の有名人の成功事例を聞くのは楽しい。
だけど、それは思い出話に近く、おじいちゃんの自慢話に聞こえるときがある。
おじいちゃんの自慢話は、飲み屋で聞くと夢があって楽しいかもしれないが、
その時エルビスが降りてきてな、的な、なんとなく参考にならない事が多い。
失敗した上で成功しないと理論は生まれない。
そういう人たちでも失敗例があるはずだけど、なかなか言いたがってくれない。
自分でも、会社の若者に昔の自慢話を話している時に、ふと我に帰ることがある。
じいちゃんか?と。

チャレンジして、失敗して、ぺちゃんこになって、それでも立ち上がって、
失敗の原因を分析して、やったらいけない事を自分の中で増やしていく。
自分の基準のラインを上げていく。
チャンスをもらった時の喜びと、それをダメにして期待を裏切った時の絶望と、
自分の考えの足りなさや、制御できなかった欲や、カッとなっちゃった時の恥ずかしさや、
それでも人生は続くので、逃げ出さずに、その絶望感を振り払うやり方と。受け入れ方と。

そして、笑いながらその失敗を人に話す事ができ、次の機会をうかがっている。
そういう人の話が養分を多く含んでいる。

実力と真剣さ

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先月、しくじり先生の話を書いたらいきなりしくじりました。
最近の撮影で、思ったほどうまく進めることができなくて、
演出家をはじめ、自分で招集したいろんな人に迷惑をかけてしまいました。
関わってくれた優秀なスタッフのおかげで辛うじていいCMは上がりましたが、
自分の中で釈然としない毎日が今も続いています。
マネージメント側がこんな体たらくでもいいものが上がるなら
俺なんかいらねぇじゃん、とさえ思ったダメな仕事をしてしまいました。

悩んで、何年か前にネットで話題になった語録を思いつき、検索して探し出して読み返してみたら思い当たることがやっぱり書いてありました。

「正範語録」という名前の言葉です。
誰がお書きになったのかはわからないみたいですが、沁みました。

以下

実力の差は努力の差
実績の差は責任感の差
人格の差は苦労の差
判断力の差は情報の差

真剣だと知恵が出る
中途半端だと愚痴が出る
いい加減だと言い訳ばかり

本気でするから大抵のことはできる
本気でするから何でも面白い
本気でしているから誰かが助けてくれる

と書いてある。 僕がいつもここに偉そうに書いている事じゃないか。
耳が痛い。あー。

ここにも書いてあるように、物事をうまくいかせられる人は実力と真剣さを、いつも両方高い次元で出力すると思うのです。

実力。
これまで努力してきた成功と失敗の経験。人脈、間の取り方、話の持って行き方。情報と分析力と決断力。人の気持ちを理解する洞察力。 体力。心技体のうちの技と体。

真剣さ
とにかく、自分で矢面に立って事を遂行する覚悟。
誰かの陰に隠れてクスクス笑っているんじゃなくて自分で困難に立ち向かう気合い。何が怖いか敏感に察知するレーダーを作動させている事。
そして必ず自分でなんらかの対処をする。
心技体のうちの圧倒的な心の部分。

その二つが両立できないとやっぱり仕事はうまくいかないんだ、と痛感しました。

今回の失敗は、
マネージメントと称して若いスタッフに大役を任せてしまった事。
気を使ったふうに、口出しをしないという体でちゃんと見守らなかったことにある。若い奴らは相当頑張っていたから逆に言えなかったのか?

尊敬する先輩のプロデューサーから教えてもらった「マインドのマネージメント」ができていなかったのです。
気持ちは真剣なはずだったのに、やってることは結果的に真剣ではなかった。
独りよがりな真剣さだったんです。何があっても責任者は僕なのに。

こういう時は毎日嫌な予感がするものです。
もともと持っている、自分の中で感度を上げていったはずのレーダーは
ちゃんと警報を鳴らしているんですね。
身方からも助けてくれという電波が出ていたんです。
それに真剣に耳を貸さなかったんでしょう。対処すればよかった。
痛み出して知った傷は深いです。

それをリカバーするために本気で走りました。現場でも文字通り走った。
アップルウォッチの示す運動の量がバスケの練習の日の数値より多いくらいでした。ごめんなさいごめんなさいと思いながら走った。 歯を食いしばっていたら奥歯が欠けるくらい、自分に悔しい思いをしました。
プロデューサーがマネージメントを失敗したのが悔しくて仕方なかったのです。
なんの言い訳もできませんでした。

何年かに一度そういう仕事がある。まだまだダメだなあという仕事。
来年50歳になるのにまだこの程度かよ。
言い方が難しいのだが、色んなことに気を使って腰が引けてるような気分の時に必ずそういうことになる。
組織のバランスも考えなきゃいけないけれど、自分で何でもかんでもやるわけにはいかないし、ご時世的には休みも必要なんだけど、人が望む自分の商品価値を考えると最終的には要所は自分でやらなきゃダメなんだな。反省文だな、こりゃ。

うちの制作部、みんな、ごめんね。
次はちゃんとやります。それしか言えねえ。

帯状疱疹になっちゃった

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帯状疱疹という病気になりました。
なんじゃそりゃ?でした。そんな病気知らなかったからです。

近々にあった撮影の予定が、ある日いきなり二つなくなってしまいました。
それで1ヶ月くらいスケジュールが真っ白になっちゃった。
「やばい」と「しめた」という感情が同時に起こりました。
会社の売り上げを考えると「やばい」
休みが取れることを考えると「しめた」です。
心の中では「しめた」が勝り、すぐさまハワイに行こうと思いました。
やったぜ。
家に帰ってiPadですぐさま飛行機のチケットを探していました。
そしたらだんだんだるくなってきました。
なんだろうなあ、風邪かなあ?気が抜けるといつもこれだ。
ハワイに行くモチベーションと戦わせてやろう、と思っても
一向に良くなりません。
体が痛くなってきました。
あれ?これ重症かも、と思い、次の日の朝病院に行きました。
いつも行くお医者さんは「風邪だねえ。喉が真っ赤だよ」と。
「でもね、先生、なんかね体の右側がめちゃくちゃ痛いんですけど」
「熱があるからだよ」ということになって風邪薬をもらって帰りました。

家に帰って風呂に入ろうと思って裸になったら、鏡に映った自分の
肩あたりに赤い発疹ができてるのに気づきました。
おりょ?iPadで調べたらなんとなく帯状疱疹って病気のようです。

皮膚科に行けと書いてあったので、近所の皮膚科を探して行くことにしました。
「あらー典型的な帯状疱疹ですねえ」「やっぱりそう?」ということで
薬を処方されました。風邪じゃねえじゃねえか!

初めて行く病院で初めて行く薬局。大きくて広い薬局。処方箋を渡すと、
「この薬はジェネリックもありますけどそうしませんか?」と薬剤師が聞いてきました。
「ふーん、ジェネリックって効くんですか?」
「成分は全く一緒なので」みたいなやりとりがあり、値段を聞いたら
ずいぶん安かったので、じゃあそうする、ってことになりました。
それでまた薬をもらって帰りました。それが木曜日。

その時点で、病状が辛くなっていたので、おとなしく寝ていようと思って薬を飲んで寝ていましたが、
発疹が背中の肩甲骨から右の二の腕までびっしり出ていて、仰向けには寝れません。
うつ伏せに寝ていたら腰が痛くなってきます。割れたガラスの粉を皮膚にすりこんでいるような痛みで、寝返りをうつだけで強烈な痛みに襲われます。ひっ!となる。
これじゃ寝れねえじゃん。やってらんねえ。仕方ないからiPadで帯状疱疹について調べることにしました。医者も説明するのが面倒だと見えて、『帯状疱疹とは』という説明書をくれていたので、それと合わせて読んでみました。
書いてある病気の内容は恐怖の内容でした。

子供の頃にかかった水疱瘡のウィルスが体の中に残っていて、疲れたりすると出てきて悪さをする。
なるべくはやく抗ウィルスの薬を飲んだほうがいいことと、治りが悪いと後遺症が残ってしまう。原因はストレスでイチバンの薬は睡眠と休養。痛くて寝れないのに睡眠が大事。

心配になってきた。金曜日、会社を休んで丸一日、薬飲んで寝ていたけど、(発症したばっかりというのもあるだろうけど)全く症状が改善されなかったからです。あ、ジェネリックにしなきゃよかったのか? 後遺症?この痛いのが残るってのか?やなこったいだな。

気持ちだけの問題ですが、こんなに変な病気なのに、金をケチって治りが悪いってことになっちゃ嫌なので、薬をオリジナルの薬に戻してもらおうと思って土曜日の朝一で皮膚科に電話したらもう休みでした。嫌な予感。そこから三連休だったからです。ならばと薬局に電話したら有難いことに営業中。ことの顛末を話したら一言、「法律に反するので薬の交換はできません」でした。

法律な、はいはい、と思って薬局にすぐ行きました。で、電話に出た薬剤師を捕まえてもう一回聞きました。
「も一度言うぞ、お前んとこでもらった薬飲んでるけど全然良くなる気配がない。根拠はない。病気の説明によると後遺症で苦しむ場合もあると書いてある。心配で仕方ないから、俺は何らかの手を打たないといけない。心配事を取り除くとすると、ジェネリックがダメかどうかは知らないが今はそこしかない。もらった薬が効いているいないについては何の根拠もないが。後から後遺症が残ったり、悪くなったりした時に諦めがつかないから、医師が処方した薬に戻してくれと言っている。それはわかるか?」

「わかりますが、それで薬を戻すのは違法なのでできません」

「違法はわかったけどさ、できませんって胸張っていうなよ。色々心配な病気になった人しか君のところには来ないんだからさ。今からお医者さんに電話してみます。とかさ、こうしたらあなたの心配事は払拭されますよとか、アイディアだよ、企画な。それを出して欲しいんだけど」

「いえ、違法だからできません」
こいつ話にならん。はいはい、じゃあね、ばいばい、と言って他のお医者さんに行くことにしました。

最初に風邪だと診断した、いつも行きつけの病院はやっていて、こうなっちゃったんですけど〜とできものを見せて、ことの顛末を説明したら
「あら〜立派な帯状疱疹ですねえ、ちゃんと新しい薬出すから安心しなよ。ところで、その皮膚科で保険使ったよね?」
「もちろん」
「そしたら今回の薬には保険効かないんだよね。もう、一回この案件で薬は出されているから。悪いけど全額払ってくれる?」
「えー、そもそもあんたが風邪だとかいうからこうなってんじゃないの?」
「見抜けなかったねえ、今回は。ごめんね」
ということになって、これまた行きつけの薬局で薬をもらったら2万3千円払うことになりました。セカンドオピニオンには保険が効かないことがわかりました。

踏んだり蹴ったりです。

そもそも何がいけなかったのか、寝ながらクヨクヨ考えました。
ジェネリック医薬品(後発医薬品)は、これまで有効性や安全性が実証されてきた新薬と同等と認められた低価格なお薬、です。効き目そのほかに関してはここで書いちゃうといろんな問題が僕に起きるので書きませんが、いい点は、研究開発費がかかっていない分、価格が安いことです。近年、国全体の医療費が増えて健保組合や国の財政を圧迫している。だから国がジェネリック薬を推奨しています。会社で新しい保険証をもらったら「ジェネリック薬品を希望します」とわざわざ書いてある。それが嫌な人はそこにテープを貼って消すようになっているんです。それほど大事な案件なんだろう。
そして当然、患者さんは、払うお金が安く済むし症状も緩和され助かる。
両方にいいことがある、ということになっています。

処方箋については、今年の四月に法改正があり、医者は処方箋に薬の名前じゃなくて成分の名前を記入することになったそうです。そうなると、効き目重視でオリジナルの薬を選ぶのか価格重視でジェネリック薬を選ぶのかのアドバイスをするのは薬剤師の役目ということになります。処方箋を見せてもらいましたが、絶対ジェネリック薬じゃダメだと医師が判断した場合のみ、「ジェネリックはダメ」的なハンコを押す欄があって、そこにその理由を医師が書かなくてはいけないことになっているそうです。

なんか、そういうことについてほとんど無関心だったのが今回の敗因だったと言えます。ジェネリック?黒柳徹子か、ってくらいの認識でジェネリックが何なのか、何が良くて何が悪いのか?考えてもいなかったのです。
帯状疱疹という病気についてもそうです。軽く聞いたことはあったけれど、これほどひどい病気とは思っていなかった。

ジェネリックを勧めた薬局は、入ってくる患者全員一人一人に、処方箋を見るなりジェネリックにしませんか?とすごく丁寧に勧めていました。そりゃあ国策なんだからさもありなん、なんだと思う。
そういう時に、ジェネリックの良し悪しがちゃんとわかっていたらちゃんと自分で判断できるだろう。今回はジェネリックでもいいとか、今回は心配だからジェネリックはヤメときます、とか。自己責任の範疇であるんです。

とか何とか言っちゃって、本当は一番腹が立ったのは法律家のような薬剤師ですね。人がどういう状況にあろうがなかろうが、「法律に反するので薬の交換はできません」と胸を張って言い切っちゃうのは立派なやつだけれど、それだったらいっその事、お前は自動販売機でもいいんじゃないかと思う。人がいて対面でめんどうくさい客が来た時にどう対処するか?で仕事の本質が見えてくるものです。俺もこいつみたいな態度を取れたらどんだけ楽なんだかと思いました。

皮膚科の医者も医者で、病気について説明するのが面倒くさいのか何なのかわかりませんが「帯状疱疹について」と書かれた一枚の紙をぽいっと渡して「読んでみてください」と言った。驚きました。地味で若いおしゃれな女医。
コミュニケーションが苦手だったら医者なんかにならないほうがいい。
医者の丁寧な説明や、これからどうして行くかと語られたビジョンで、弱っている心がどれだけ救われるのか?お前もハワイに入国する時のような自動イミグレ機みたいなので事足りちゃうぜ。

結局二週間も寝たままになっちゃうんですけど。

薬局や病院が悪いんじゃなくて、出会ったたった一人と噛み合わなかっただけなんだけど、二度とその皮膚科と薬局にはいかないと思います。近所の誰かに聞かれたら、あそこヤメたほうがいいよとしか言いません。初診の時の病院の印象ってとっても大事なんですね。そうやって行くうちに客ってのは減るのです。自分の仕事に置き換えるとめちゃめちゃ怖くなりました。

世の中の風潮を見ていても、どんな仕事も、どんどんそういう風になって行くような気がするけれど、それなら、自分でネタは仕込んでおかなきゃいけないということでしょうね。そうしないと予期せぬ判断を迫られた時に間違った判断をしてしまうことになるからです。 誰か23000円返して欲しい。靴一足買えるだろ!と思いました。

病気になった本人が一番へぼいんですけどね。

佐賀弁

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秋の終わりに田舎の佐賀県に帰りました。
高校を卒業してから30年の記念の同窓会が
学校の公式行事として行われる。というイベントがあったからです。

みんなどんな格好するんだろうか?
それが最初に気になりました。同窓会の類に出るのは初めてだったからです。
招待状には平服で来てください、とだけ書いてある。
みんなスーツかなあ?ネクタイとかしてくるんだろうか?
先輩のプロデューサーに聞いたら、バリバリの業界人でございます
って格好して行けよ、って言うんだけど、それがどんな格好なのか?
ヒョウ柄のファーでも着ていくか?持ってねえよ。そんな人いねえし。

頑張りました感が出るのは嫌なので、極力普段の格好でいこう。

黒い普通のジャケットに、破けたジーンズ。
首には迷彩柄のマフラー。
うわぁ、普通。出社してるみたい。まあいいか。平服だから。

当日、実家で着替えて、さあ行ってくるよ、って時に
母親がぞっとするような表情で言いました。

「あんた、ばかやなかね?なんねその格好は?よそわしか。
同窓会にそがんきっちゃんばらしか、うっかんげたごたっ
おろいかズボン履いて行ったらいかんばい。ぞーたんのごと。
先生たちにくるわるっばい。
そいで、なんねその首に巻いとっとは。ヒカルくんな東京でCMば
つくいよんさって聞いたばってん、すらごとやったばいね。
軍隊にはいっとんさっとやなか?て言わるっけん。みたんなか。
がばいちゃーがつか」

ん?一瞬何を言っているのかさっぱりわかりませんでした。
何語?あんた何人?なんか全力で非難されているのはニュアンスでわかる。
お気に召さなかったみたい。

えっ?かあちゃん、いまなんて言ったの?
解読するからもう一回同じこと言って。
ゲラゲラ笑ってからかうように言いました。すると母親、

「あー、あんた佐賀の言葉もわからんごといちなったばいね。
よかよか、せからしか。その軍隊こじきんごたっ格好で
とよみちゃん(昔の彼女)に笑われてきんしゃい」

年老いた母ちゃん。なんかもう、とってもちっちゃい。ヨーダみたい。
怒ってるけど全然怖くない。むしろかわいい。
真上を見上げながら、僕にめちゃくちゃ文句言ってる。
東京の赤坂にある山脇学園を出たお嬢様とは思えないような、
佐賀の土着な言葉で口汚く罵ってくる。
佐賀のフリースタイルラッパーかよ、と思った。

高校を卒業して30年と言うことは実家を出て30年ということでもある。
東京の言葉で暮らしていることの方が圧倒的に長くなったので
正直に言うと、少し考えないと佐賀の人が本気で喋る佐賀弁がわからなくなった。

何年か前にも、田舎に帰った時に、中学の時の友達と飲んでいて
なんとなく佐賀弁で話していたら
「お前、佐賀弁のへんなかぼ」と注意された。
(お前、佐賀弁が変てこだぞ)
へんなかぼ?「ぼ」ってなんだよ。
それが結構ショックで、あー、無理して故郷の言葉で喋るのやめよう。
と思ったことがあるのを思い出した。

だから母親が言っていることをちゃんと訳すると

●あんた、ばかやなかね?なんねその格好は?よそわしか。
○あなた、バカじゃないの?どうしちゃったのその格好は?気味が悪い。

●同窓会に、そがん、きっちゃんばらしか、うっかんげたごたっ
 おろいかズボン履いて行ったらいかんばい。ぞーたんのごと。
○同窓会に、そんなに、すごく汚い、壊れたような
 ぼろいズボンを履いて行ったらいけません。冗談でしょ?

●先生たちにくるわるっばい。
○先生たちにおこられるよ。

●そいで、なんねその首に巻いとっとは。ヒカルくんな東京でCMば
 つくいよんさって聞いたばってん、すらごとやったばいね。
○加えて、何ですかそのマフラーは?ヒカルくんは東京でCMを
 作ってるって聞いてたけど、嘘だったのね。

●軍隊にはいっとんさっとやなか?て言わるっけん。みたんなか。
 がばいちゃーがつか」
○軍隊にはいったんじゃないの?っていわれるから。みっともない。
 すごく恥ずかしい」

と言うことになります。

佐賀弁とは九州北部の肥筑方言の一種で、主に佐賀市で使われている言葉を指す
そうです。
有名な博多弁とは似ていますが結構ニュアンスが違います。少し汚い。
僕の主観ですが、みんなあんまりペラペラ喋らないんだけど
県民性として辛辣な人が多く、結構平気で他人をボロカスに言いますね。
言われる方も慣れているので、もめませんが、知らない人が聞いていると
喧嘩してるんじゃないかと心配になるそうです。
古代平安言葉がかなり残ったニュアンスの言葉だとも言われています。
母親の使った言葉を例にとると

「よそわしか」ーー汚い、気味が悪い。と言う意味ですが、「様相悪い」が語源
「うっかんげる」ーー壊れる。うっかんげたー壊れた、の意味。語源は「打ち欠ける」
「みたんなか」ーーみっともない、の意。人の顔を指して言うときは「ブス」の意味
「ちゃーがつか」ーー恥ずかしい。という意味の言葉。「耐えがたい」が変化したもの。
「せからしか」ーー鬱陶しい、めんどくさい「急からしか」と書く。急かすなという意味か?

まあ、こんな感じですか。最初に聞いたときは独特なイントネーションと
相まって、文字の並びも不思議だからびっくりするかもしれませんが
アウトサイダーになった今更こうやって研究してみると、ちゃんと意味があるんだな
と思います。考えた事もなかったけど。

同窓会の会場では、予想に反して、スーツにネクタイの人ばっかり。
なんだよ、平服じゃねえのかよ?と隣の人を捕まえて聞いて見たら
「おいたちはこいが平服やけんね」と言った。そうか。
銀行員とか役所とか学校の先生になった人が多いんだ。
そりゃあスーツだな。しまった、失敗した。全然気にならないけど。
少しちゃーがついぜ。少し。

若い頃は、田舎者のコンプレックスが強くて忌み嫌ってさえいた郷里の言葉。
なんか、優しくておおらかな感じがして、いいなあ、と思っちゃった。
そんな言葉で50になろうとする息子をメチャメチャディスって来る母親も
なかなか可愛く見えて、あー、こうやって話す回数にも限りがあって大事にしなきゃな、と思った今回の帰郷でした。
ちょくちょく帰ろうかな。

エモーショナルインテリジェンスはフォースの覚醒

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去年の年末にコマーシャル関係のパーティーなどに顔を出していたら
驚く事に、よそのプロダクションの若い人達に挨拶される事がちょくちょくありました。
ここの僕のコラムの、CMプロダクションで働く人たちに向けて書いている文章を、
何社かの会社で新人の研修に使ってもらえてるらしく、そのおかげで読んでいる人がいるそうです。
光栄ですが。恥ずかしいものです。

同じ会社の若い奴は、正月に実家に帰ったら、お父さんが
これ読んだ方がいいぞ、とプリントアウトしてくれた文章が
僕のコラムだったってゲラゲラ笑っていました。笑ってんじゃねえ。

そんなこんなで、読んでくれている人がいるならば佐賀弁のコラムを
書いて喜んでいないで、今月は業務関係の事を書いてみようと思いました。

エモーショナルインテリジェンスという言葉があります。

平たく言うと、自分に降り掛かってくるあらゆる問題に対して向き合える
想像力や忍耐力、切り抜ける力、というところでしょうか?

エモーショナルインテリジェンス(EI)というものは
人と対峙したときに、自分と他人の間にある、目に見えないものが理解できるのか?という事が問題だからです。

EIの高い人は、自分の感情と考えを分けるトレーニングができているそうです。
自分にわき起こった感情を押し殺すんじゃなく、分析します。どうしてそう感じるのか?と。
自分の感情をコントロールする術を知っているとも言えますね。
何か起こっても、衝動的に怒ったりたり、泣いたり、びっくりしたりせず、
その先にある大事なものはなんなのか考えて行動するということです。

そして、自分と自分に起こることについて、好奇心が旺盛。
これから何が起きるのか?と、相手にとって何が一番大切なのか?を知るのが好きです。
そこから答えを導きだすといい事があると知っているからでしょう。

これらは、生まれつきな能力ではなく、後天的に経験の中で覚えていける能力でもあるそうです。

人は言っている事と思っている事が違います。そこの差を埋める思考をしなきゃいけない。
そもそも対峙している人がどんな人なのか?
絶妙な質問を繰り返したり、態度や会話の中からヒントを導きだしたり。

対人だけではなく、自分に責任のある物事でトラブルが起きたとして、
そのトラブルとどう向き合うか?どうおさめるのが最善策なのか?
ネガなことがおきても、大きい視点で全体を見てトラブルに対処する能力だとも言えます。

これまで、世の中があまりに人間の感情っていうことを無視し
数字とか学校とかそういうのでしか人の価値を判断できなかったために、
人類が機械的になっている、という事に気がついた方がいいと思うんです。

実はCMのプロデューサーやプロダクションマネージャーにはこの能力がかなり必要です。

CMのプロダクションマネージャーから入って、経験を積んでプロデューサーになる。
プロダクションマネージャーには、専門職のスタッフと違って手に職がありません。
だから技術者にやってくださいとお金払ってたのまなければならない。だから軽く見られたりする。
家庭でいうとお母さんみたいな役割なので、とにかくみんなからの要求が多くそれをちゃんと全部こなさないと文句を言われます。

会社からは、うまいことやって利益を出せ、商売なんだからと圧力が強い。
最近はコンプラとかなんとか言って下らない失敗することを凄く嫌われる。
スタッフは少しでもいいものを作りたいのであれが欲しいこれが欲しいと要求してくる。
このジレンマの中に生きている。
稼ぎの少ない旦那(プロデューサー)のせいで家計のやりくりに苦労したり、
泣き止まない子供(スタッフ)をなだめる事ができずに育児ノイローゼ気味になったりします。
私がナニしたって言うのよ!

もう大変です。難しい仕事だと思う。自分がやってるときも大変でした。ぼこぼこにやられました。
くやしいなあ、ちくしょう、ぶっころしてやる。そういう感情をいつも持っていました。

そんな中で考えたのは、何をどう準備しておけば、関わっている人が喜んでくれるのか?という点でした。
怒って暴れても、凹んでイジケテも仕事にならないからです。
お金もらってやっているんだから、俺の感情はちょっと置いといて、やることやろう。
やってうまく行ったら嫌味の一つでもかましてやるか。悔しいから、と。

そう思って仕事をしていると、部下を使わなくちゃいけない立場になり、丁寧に自分がどう思って仕事をしているかと説明したりもしたけど、そう簡単に分かるわけもなく。
弱音を吐いたり不貞腐れたりする部下を怒鳴ったり蹴ったりしていました。
なんか違うよなあと思いながら。部下のすることの責任は僕にあるからです。必死でした。

お客さんにも、会社の管理にも、プロデューサーにもスタッフにも、部下にも同じ態度で仕事をするというのが理想です。

よくよく考えてみると、答えはスターウォーズにありました。
ジェダイにならなきゃいけないのか!そうか、スターウォーズはそういうことを言ってるんだ。
感情に支配されるな。見えないものを感じるようになれ。フォースを使え。
それがわかった時には、部下の人格は否定せず、足りなかったことをキツめに指摘すると言う態度に変えることにしました。

エモーショナルインテリジェンスとはフォースのことだったのです。
プロダクションマネージャーの頃はジェダイになる修行をしているんだ。
フォースを身につけたら仕事をうまくコントロールできるようになるんだろう。
そしたらプロデューサーになれるんじゃないか?

プロデューサーになってみてわかりました。
プロデューサーの仕事の大半は人心掌握術だったからです。
フォースの覚醒が必要だったのです。

それは、自分のことをよく分析できていて、相手の感情をおもんばかり、
問題が起きても慌てず、大事なことはなんなのかをいつも忘れない。
状況を打開するためには損をしても、それが後から得になるようにする。

マネージメントという名前のついた職業の人にはみんなフォースが必要なんですね。
後天的に身につけることができるということは、色んな挫折も味合わなきゃいけないだろうし、成功体験はもっと必要。知識が多かったり、実際にこの目で見たことのあることが多いに越したことはない。色んなチャンスに積極的に関与したがるべきだ。当事者意識を強く持ち、矢面に立って問題に対処して、人の言わないような意見を言うのを心がけ、凄みのある説得力すら身につける。怒られることを怖がらない。そう言うことに気をつけて仕事をすると言うことがフォースを持つ人、つまり、エモーショナルインテリジェンスのレベルが高い人、と言うことになるんでしょう。

その修行の途中だと思ったらプロダクションマネージャーの仕事は頑張れると思うんです。上司や監督に言われたことをめんどうくせえと思ってただこなすのではなく、このCMを作るのに、せっかく関わったんだから、俺が何をしたらもっと良くなるかという観点をブラさずやってくれたらうまくいくと思うのです。こっちの方が良くないですか?と積極的に発言してほしい。若いってだけでアドバンテージはあるんだから。

今は御用聞きかもしれないけれど、日本一の御用聞きの人には、誰も御用聞きの扱いはしないと思うのです。フォースを身につけてほしい。そしたらビビったりしないで仕事ができるようになるでしょう。

フランク・シナトラの名言に、
「人生で一番大切なことは、ビビらないことですよ」
と言うのがある。
これがわかれば、せっかく始めた仕事を簡単に辞めたりしなくて済むんじゃないかと思うのです。


若者の言語感覚から見える気分

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結構話題になっていたけど、平昌の冬季オリンピックのスノボ競技の
解説を聞いていて、自分では発想しないような言葉の使い方をしていて
なんとなく今の気分ってこうなのか。と面白く思ったことがありました。

自身もスノボ選手である、その解説者の中井孝治さんの表現の仕方が、
選手の技が決まるたびに「かっこいいです」「渋いですねえ」「おしゃれです」。

そんな言葉を興奮することもなく淡々と丁寧に解説の中に織り交ぜていく。
なんだこの解説は?と思った。
友達に話しているようでもあるが、そうでもない。
むしろ嫌な感じがしないのはなぜだ?
ああ、そうか、そういうスポーツなんだ。エクストリーム系のスポーツは。
そう思った時にその解説者が極め付けな言葉を言った。

「スタイル入ってますね」

すごい言語感覚だなあ。と改めて思いました。
その言い方がなんとなく腑に落ちちゃったんです。膝を叩いちゃった。

中井さんが自身のブログにその解説のことを書いています。
これがまた面白い。抜粋すると

【スタイル、スタイリッシュ】
簡単にですがスタイルについて説明させて頂くと、グラブや技をしている時の身体の形などのことを言っているのですが、パッと見ただけで誰だかわかるような個性的な動きをしている時、その人のこだわりが伝わってくるような動きをしている時によく使ったりします。形だけを作るのなら、ある程度上手になればそのスタイルをマネできると思いますが、本当のスタイルとは作るものではなくて、滲み出るものだと思っています。
スノーボード以外でも1つのことを追求してきた人ならわかると思いますが、なんでも長くやっていると、オリジナルか?そうではないか?見せかけのスタイルや真似しているのはなんとなくですがわかってしまうんです。
なので重要なのは、オリジナリティなんです。だからこの形がかっこいいとか特に決まってないんです。
純粋に自分がかっこいいと思うことを高い技術と完成度で表現できていればスタイルが自然と出る、伝わってくると思っています。
もちろん最初は誰でも、憧れや真似するところから始まると思います。(自分もそうだったと思います)ですが、上手くなるにつれて、こうしたい、ああしたいなどが出てくると思います。
だから周りを気にせず純粋に自分がしたいことを表現する、そしてその結果、自分からにじみ出るもの。それがスタイルだと僕は思って使っています。ちなみに癖もその人のスタイルだと思っています。

なんだろうな?この感覚。言ってることがすごく正しいぞ。
僕らの世代がやってきたスポーツの言語感覚とは全く違う。
野茂英雄がトルネード投法を矯正されそうになるような話ばかりだった。
こうしなきゃいけない。腰を落とせ。基本に忠実に。そんな事しちゃいかん。
あ、野茂のことか。野茂英雄はスタイル出してたんだな。
マイケルジョーダンのダンクとか。自分の世代に当てはめるとそうか。

今は、スポーツでも、その競技の中で見出す哲学みたいなものが個人個人に芽生えていて、それが尊重されている感じがしますね。羨ましいとすら思う。

そんな話をしていたら、一緒に仕事している演出家が教えてくれた話がある。
最近人気のあるバンド「サチモス」のヴォーカル、ヨンスくんが
自分たちのライブがいまいち盛り上がらなかった日にツイッターで
「バイブスの至らない点があり・・・」と謝罪した。という話。

またこれもすごい言語感覚だなあ。とびっくりしました。
僕らの世代の言い方で言うと
「ちょっとノリが悪くイマイチで・・」となるんだろうけど
バイブスの至らない点、ってなんだか言い得て妙な感じがするのは
僕だけではないでしょう。自分の口からは絶対出て来ませんがこんな言葉。
ニュアンスの掴み方がすごいなあ。

バイブスとは
(言葉によらず伝わってくる)雰囲気、心の中、考え方といったことを意味する英語。となっています。バイブスが上がる、下がる。という使い方で気分を表すらしいです。

こういう言葉で会話する世代の気分としては、きっちり理由づけできたり説明がついたりする建前や、常識と言われる社会的な通念や、言い訳じみた言い回しなんかとってもカッコ悪くて、その人がしたい事を追求して得た、答えは無いけど、たどり着いたオリジナリティの深みみたいなものを大切にしているんだということがわかります。
金とか名誉、会社の知名度、社会的な地位。
そういうものではなくて、周りすら気にしないで自分のスタイルを追求できるフィールドを探している。そんな言語感覚ですね。

そう考えると入社しても、会社組織にあっという間に嫌気がさして、パッと辞めてしまう若者たちの感覚も、なんか理解できるような気がして来ます。

旧態依然とした会社の論理と自分たちが感じている空気とは、大事にしていることがめちゃくちゃ違うからです。スタイルを出さないディフェンシブな上司に常識的な事を押し付けられてバイブスが下がるんでしょう。それにアレルギーが出ちゃうんですね。

若者の、言葉にできないテンションの下がり方に、「それでも我慢して食っていかなきゃいけないんだぞ」的な物の言い方は通用しないのかもしれません。

言葉にできない感情やテンションを一言で表現する奴らの感情が理解できないと、その世代と感覚がかみ合わなくなった年寄りたちは、何を話していいかわからなくなってしまうでしょう。

夢と現実は違うし、甘いと言えば甘いかもしれない考え方かもしれませんが、若者たちは、いきなり生活のために現実を受け入れて夢を見ようとしないのも嫌なんだろうなあ。こうしなきゃいけないとかそう言うニュアンスが無いんだろうし。無理に気合入ってるふりなんかかっこ悪いと思う自然体なんだろうし。イロイロ言われなくてもわかってるような気もするし。

確実に僕らの世代より、オリンピックなどの大舞台で平気で活躍する奴が増えているのも事実です。やる奴は信じられないようなパフォーマンスを発揮して世界一になったりする人たちでもあります。

ユトリやサトリと言った世代的なカテゴリーに縛り付けて卑下してるわけにはいかないでしょう。大人はもっと若い世代の感覚を研究する余地があるんじゃないかと思うのです。キーワードはスタイルとバイブスなんだと思います。

こう言う僕らも若い頃の呼ばれ方は「新人類」だったんですから。

偶察力

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偶察力という言葉がある。
「ぐうさつりょく」
偶然、察知する、力。
この言葉が大好きでワクワクするんです。
呑気でシビアで前向きな考え方だからです。

広辞苑では
「思わぬものを偶然発見する力。
幸運を招き寄せる力。」
と書いてあります。
英語で言うとセレンディピティだそうです。
これだけではなんじゃそりゃなんですけど。
英語で言う必要もないですが。

わかりやすい説明としては
ニュートンが庭仕事をしていたら、リンゴが
ポテッと木から落ちた。それを見て万有引力を
発見した。と言う話。

もっとわかりやすく言うと
ファイザー製薬が、狭心症の治療薬を開発している時に
全然うまくいかず、臨床試験の中止を決めたそうです。
被験者からその薬を回収しようとしたら、被験者の多くが
その薬をなかなか返そうとしない。なぜだ?と調べたら
なんか他に良いことがあった。それがバイアグラになった。と言う話。

調べていくと、世の中の多くの素晴らしい発明や発見は
ダイナマイトもX線も電子レンジもトランジスタもポリエチレンも
他の物を開発している途中に、たまたま発見されたと言うことがわかります。
世界の偉人の伝記を読んでいても、ほとんど成功のきっかけは「たまたま」です。
なんだ、偉そうに、たまたまじゃねえか、とすら思う。

実は、そうやって本当は気づいてないラッキーが自分の周りにゴロゴロしてるんじゃ
ないかと思うのです。
そういう意味で「偶察力」って実は努力より大事な事かもしれない。
所詮たまたまだけど、ぼーっとしてたら気づかない「たまたま」だからでしょう。

自分に偶察力をもたらしてくれるのは想像力と好奇心ですね。
多分、どこかに引きこもっていたら出会わない。
閉ざしている人には偶察力はつかないんでしょう。

まず、なんかしようと思ってやり始めた事に想像力と好奇心を持って
面白がっていたら、その作業から知る新しい情報の中に
また違った面白いものが混じっている。と。ん?なんだこれ?と
気を引かれてその事を調べたり考えたりしていくうちに
どんどん広がって行ってもっと違うものを発見してしまう。
面白くなっちゃったりして。
あら?これってすごくないか?

興味のあることを好きにやっていたら、なんかうまく出来るようになる。
それを、たまたま偉い人が褒めてくれた。
人間って結構それだけでテンションが上がってもっと頑張れるようになったりする。

新しい他者に出会う。ということにも近い。
柔らかく自分に起きる出来事を見つめたり受け止めたり。
チャンスをもらうということも、突き詰めていくとたまたまなのです。

ひっくり返すと嫌なことも「たまたま」やってくることの方が多い。
入った会社の上司が嫌な奴でアホだった。とか、居眠り運転の車にぶつかられるとか
雷が近くに落ちた。とか、ロケの日に雨が降った。とか。
自分の力ではどうしようもない事がめちゃくちゃ起きる。
そう言う目にあって自暴自棄になって、もうダメだとか
嫌だ嫌だと思って心を閉ざしてしまうとそこで終わっちゃうかもしれませんね。
へーこんなことも起きるのね。さてどうしよう?
と前向きに考えていると違った方向のアイディアも浮かぶものです。

嫌なことがあっても自分の心は常に開けておく。
そういうのも全部ひっくるめて自分に起きる未知な事柄に興味を持つ。
うまくいかないことも、好奇心と想像力を働かせて、角度を変えてみてみると
新たな発見があったり、うまく行くアイディアを見つけられたりするんじゃないか。
と思うのです。誰かが助けてくれたり。

どうせほとんどチャンスは「たまたま」やってくるんだから。
そのたまたまをパッと掴むのが上手い人が幸せな人なんでしょう。
よくいう「ついてる人」や「もってるひと」は偶察力の強い人と言えるような気がします。

「わらしべ長者」という昔話がありますが、まあ、それはそれは都合のいい
ずいぶん雑なサクセスストーリーだなあと思っていました。長い間。
でも、偶察力という観点でもう一回読んでみると、なるほどそういうことか。
と思います。なんか、その辺でたまたま見つけたものを工夫して面白がって
いると、それがとても必要な人がやってきて、それより価値の高いものに変えてくれと
頼んでくる、ということの繰り返しで長者になる話。
たまたまの連続だけどばかにしたものじゃない。

自分の偶察力を大切にした方がいい。
ただ真面目に努力していたら必ずいい事があるとは限らない。
ただ偶然を待っていてもいい事が降ってくるとも限らない。
そもそも偶察力には根拠がないし答えもない。
僕がCMプロデューサーなんかやってられるのもたまたまなんです。
たまたまこうなった。

まず、自分の行く道を漠然とでもいいから決めて、それに向かって走り始めてみる。
そして、身の回りに起きる変化や出会う人との関係を素直に受け入れる。
いい事が起きそうな時やチャンスだと思える時は自信がなくても飛び込んでみる。
まだ早いと思っても、やるという選択をして、その事を成立させるために一生懸命やってみる。
そうやって偶察力も自分も鍛えられて行く。
そんな感じが人生がうまく行く人の思考回路なんじゃなかろうか?

俺には無理だ。とか、俺はダメだ。自己評価を低くしないのがコツかも。
勘違いも良くないが、前向きに素直に。

偶察力を言い換えると「いいことに気づく力」なんじゃないかと思うのです。
たまたまやってくるいい事を、準備をしながら待っている。
自分に必要なものかどうかを見極めながらチャンスを選別しながら待つ。
目指したものとちょっと違っても、拒否せず受け入れてみる。
たまたま本当のチャンスだと感じる事がやってきたら素直に感謝しながら受け入れる。
えいやっと飛び込む勇気を持つ。
そう言う事ができる力があった方が後悔しないで生きられるんじゃないでしょうか?

どうせたまたま生きてるんですから。
気楽にいこうぜと思う日もあります。

なんか嫌な感じ

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最近の空気になんか嫌な感じが漂っていて少し憂鬱なまま過ごさなきゃいけないのはなんでだろう?
と思う。
あまりこんな事は書きたくないのだけど、身近に起きることも、テレビで流れてくる事件も、やってられなくなるような出来事が多くなった。

基本的にクソな奴らと出来事ばっかりだ。

モラルや礼儀や法律や正義を後回しにして、所属する組織や自分の身の回りの人間関係の狭い価値観を優先する。
どの事件もやってることは違えども、なんか根本が同じなんじゃなかろうか?

みんな生活を人質にされた状態だから、集団の中の関係者はダメなことはダメと言えない。
そこから端を発している。
逆に全く関係のない無抵抗な芸能人などは、問題があるとボコボコに叩きまくる。その温度差がすごい。

他人のことは思わない、未来のことを考えない、金以外のことに価値が見出せない。自分がそんな奴らの集まりと化していることに恐怖すべきだし、気づくべきである。

国会での首相の答弁も、官僚の忖度(そんたく)も、アメフト部の監督の言い分も、大学の危機管理の対応も、小さい女の子を殺したり虐待する奴も、セクハラする事務次官も、自衛隊の日報を隠してほとぼりが冷めたら出す奴も、ただの卑怯者の集まりでしかない。

こんな奴らがしらばっくれて結局罰せられることは無い。
となったら、誰かが「卑怯罪という罪はない」とか言い出しそうだけど、卑怯なことはダメだと言うことを子供に説明するのが難しい。

新幹線の中で刃物を持って暴れた奴は、人を殺しといて、「殺すのは誰でもよかった」と供述しているらしい。

去年の夏に、知り合いが通り魔にあった。刃物で切りつけられた。その犯人も「誰でもよかった」と言ったらしい。身近な人間だったのでものすごく憤りを感じた。犯人には同じ目に合わせてやりたいと思った。

もう馬鹿ばっかりだ。犯人がどんな境遇で暮らしてようが、辛かろうが、頭がいかれてようがなんだろうがこっちには関係ないのだ。

先日、夜中に恵比寿の大きい交差点の角で、ゴミ置場の捨ててあるゴミ袋に、どうどうと立小便をしている奴がいた。
夜中と言えども人通りはかなり多い。相当恥ずかしい場所でやってるのだが、そのションベン男を、同僚らしい男が2人で隠そうとして恥ずかしそうにサッカーのpkのような壁を作っている。そして通行人にペコペコ頭を下げて謝っているのだ。なんとも不思議な光景に見えた。

また、渋谷の駅のホームで、酔っ払った男が線路に侵入して駅員と追いかけっこをしていた。男は「イエーイ」とVサインしながら走っている。それをまた同僚らしきスーツの人間が3人、ホームを並走している。その人たちは「スマホで撮らないでください、SNSにアップしないでくださーい」と叫びながら走っている。

なんだか変な光景ばかり。
ストレスがお溜まりになっているかもしれないが、酔っても
やってはいけないことはやってはいけない。当たり前のことだ。

それを本人に注意もしないで周りに謝っている仲間ってなんだろう?
上司や仲間が道で立ち小便を始めたとしても、仲間が「やめろ」というべきだ。引っ叩いても止めなければいけないと思う。通行人に謝ってもしょうがない。謝ってないでとっととそいつの行為を止めさせろ。と思った。明日の朝、そのゴミ袋を回収する人のことを考えただろうか?

駅のホームで線路に侵入して走り回る奴はネットにでも晒されるべきだと思う。同僚もわざとそうするべきだったかもしれない。
いずれにせよ電車は遅れる。何千人の帰宅の妨げになってることを想像できないのか?
山手線の電車が遅れるアナウンスで、「ただいま、〇〇駅で線路に人が侵入したため、安全確認のため運転を見合わせて…」というのをたまに聞くようになったけど、実物は初めて見た。

立ち小便も線路ランナーも論外な馬鹿だから捕まればいいだけだけど、通行人に頭を下げて謝ってる奴も、スマホで撮らないでくださいと叫んでる奴も、守らなきゃいけないポイントが大幅にずれていると思う。テメエとテメエの周りしか考えられないのだろう。

こんなダメな感じなんだけど、実際の会社の中では「働き方改革」や「ハラスメントの撲滅」「コンプライアンスの遵守」が利益より優先されるようになってきている。今までデタラメにやってきたことを、もういい加減正す、というのが目的で素晴らしいことだと思う。できれば僕の若い頃に言って欲しかったような内容のことばかりである。

公共の精神衛生システムはもはや崩れ去ったのか?
モラルの欠落した奴らに最低限の礼儀作法を厳しく教える法律を作る方が先なんじゃないかと思う。

少なくとも他人の気持ちがわかる、と言った教養がなければ色々法律を作っても、違反しても気づかないような奴ばかりだ。
どうせ酔っ払うとなんでもありになってしまうだろう。

ついでに言うと、法律を作って世の中のことを考えてるフリしている奴が、卑怯な言い分で嘘ばかりついて言い逃ればかりしていれば、そんなの説得力がないんだけど。と思ってしまう。まずお前からちゃんとせいよ、と。

その反面での漂白社会。モラルや法律を盾にちょっとした失敗も許さないヒステリックな風潮もある。
明るみに出た秘密と嘘は、叩き疲れて飽きるまで袋叩きにするくせに、バレなかったら何をやってもいい、とばかりにみんな秘密を隠している。都合の悪いことを隠したり嘘をついたりすることにあまり抵抗のない国民気質でもある。嘘も方便、なのだから。

漂白社会は徹底的に建前で、建前を振りかざして自分の中にも秘密を隠し持ちながら、立場の弱い反撃してこない有名人などを標的にして、誰だかわからない人が上手くいかない自分の日常のストレスを晴らしているだけなのがわかる。人間の心の闇だ。

このインターネットが主戦場の闇と、言い逃ればかりして罪を認めなければなんとかなるさ的な政治家の、都合の悪い事は無視する、的な立ち振る舞いの温度差に火傷しそうなくらい、嫌な空気が漂い始めている。真実と建前の乖離がすごいからだ。

そんなくだらないことに気分を悪くさせられるのはまっぴら御免である。 弱いものいじめはやめろや。言い逃ればっかりすんなや。

自分の常識やモラルやプライドやそういう判断基準で、損得ばっかり考えず自分の行動の規範を決めろ。と思うのです。
そうじゃないと有象無象のままお前の人生は終わってしまうぞ。
と、忖度ばかりして、「今と自分と金」の事しか考えられなくなっている奴には言いたいのです。

50歳になりました

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平成最後の夏に、50歳の誕生日を迎えました。
平成最初の年に20歳だったので当たり前と言ったら当たり前ですが
20歳から50歳の30年間はあっという間でした。

20歳を迎える時は福岡で浪人2年目をやっていました。
30歳を迎える時はアメリカの会社の支社に出向していてロサンゼルスに住んでいました。
40歳の時は、会社で部長でした。高校で引退したバスケを再開してチームを作りました。
そして今年、50歳です。

東京にきた年が20歳だったので、あれから30年。あっという間だったとしても
世の中は随分様変わりしています。

20歳の時、1988年はバブル景気でした。今では考えられないようなことが
いっぱいありました。ソウルオリンピックの年。東京ドームができた年。
マイクタイソンの試合やローリングストーンズのコンサートがこけら落としでした。
え?東京ドームってもう出来てから30年もたつの?
と言う驚きもありますね。ほら、あっという間だったでしょ?
恵比寿ガーデンプレイスも94年開業です。24年も経ってる。

バブル景気は91年の2月までとされていますから、会社に入った91年の4月には
無くなっていたことになります。あとちょっとで僕は手が届かなかった感じですが
今と比べれば、仕事の仕方も随分バブリーでした。
就職活動の時は内定を7社持ってました。学生なのに接待されたりしました。
東京の街には人があふれていて、今でも渋谷の交差点は人が多くて世界的に有名ですが
もっと沢山、しかも若い人がいたような気がします。ギラギラしてました。
それだけ人がいても、外国の人はほとんど見かけませんでしたが。

30歳の時、1998年は、来年、ノストラダムスの予言が当たればみんな死ぬ。と思っていました。
仕事も軌道に乗って、ああ、俺の人生もなんかよくなってきたのにノストラダムスめ。と
長野オリンピックの年。
松坂大輔が甲子園で活躍してマイケルジョーダンが6回目のNBA制覇をした年。
サッカーの日本代表が始めてフランスW杯に出た年。色のついたコンピュータが売り出されて
インターネットを使うのがが当たり前になってきた年。
あれから20年。

それから10年はバイクに跨ったまま暮らしているような気分だったような思い出です。
働き方改革ってあの頃に言ってくれればよかったのにとすら思う。
休みなんかあると思う方が間違っていました。よく徹夜しました。
でもまだなんか世の中はキラキラしていたように思います。
今まで未経験だったことができたり、新しいことがどんどん生まれていたからでしょう。
キラキラしてたので徹夜も苦ではありませんでした。
六本木ヒルズの完成は2003年です。

40歳の時、2008年。リーマンショックの年。北京オリンピックと洞爺湖サミット。
なんとなく、閉塞感を感じ始めた年。それが自分の年齢のせいなのか、世の中の建前と
本音がインターネットによってバラされ始めたからか考えてもなかなかわからなくなってきた頃 だったような気がします。コンプライアンスとか言い出したのもこの後です。
赤坂サカスとBizタワーができて10年です。

それからは頻繁に天変地異が起きるようになりました。東日本大震災が起きて
大雨や台風でとんでもないことになり。夏の暑さは異常で、冬は寒い。
人間は、地球からいなくなれと言われているような気分になる。人間のせいで
地球が怒っているようです。てめえらええ加減にしとけよ。と。

原子力発電所の事故で人の都合や欲や悪意や無責任さや未来を見ない情けなさを
目の当たりにしてうんざりしています。クソみたいな大人が弱っちい子供を
身勝手な理由で傷つけることが多い嫌な世の中になってきました。
天災と人災にやり場のない怒りを抱えてストレスもマックスな感じ。 引きこもる奴の方が正しいかもしれないとすら思える今日この頃です。

そうやって2018年、50歳を迎えました。

日本人の平均年齢は2018年で約48歳だそうです。ほぼ同世代。
平均寿命は86歳。
国を単位に物を考えるのもナンセンスなことになっているのかも知れません。
ただ65歳で定年退職して85歳まで生きるとしたら20年もある。
我慢して年収500万円の生活で暮らしていくとしても1億円必要なわけです。
1億円?どこにあるのよ?って感じですね。
今のほとんどの人が感じている不安はここからきてるんだと思います。
年金は期待しない方がいいです。と言う風潮。

そんな中これから幸せに生きていくには何をしなきゃいけないでしょうか?
そんなことに答えはありませんが、やった方がいいことはある。

まずは世の中で起きていること、大きな潮流をちゃんと見ておかなければ
いけないと思うし、それで自分の行動の規範を修正しながら生きなきゃ
いけないと思うのです。若者たちが何を考えているのか、何に苦しんでいるのか?
世間の風潮と照らし合わせながら考えることができるのは年長者だからですね。

広告の世界も大きな潮流があって、海外で賞賛されるコマーシャルや
ムービーの内容には、なんというか、社会の問題をどうにかしたい、という
メッセージの込められたものが多くなっています。
それは企業が、単に商品のスペックを言うだけの、商品名を連呼するだけの
広告を作るのではなくて、企業が広告で、社会的な問題を解決したいという意思表示を
する事で、「社会に貢献する」という責任の重さを自覚し始めたんじゃないかと思います。
海外の企業の偉い人は企業として自分たちが何をしなきゃいけないかを気づいている。
いま、うまくいってるとか儲かっていると言う事ではなく、未来のことを考えてのことです。
結局帰ってくることを知っているみたいです。

そう言う大きい流れみたいなものを感じ取りながら仕事を続けたいものです。

どうもそう言うことから日本の企業と広告は置いていかれたんじゃないの?
と言う記事を読んで、ショックでした。確かにそう言う観点では居れていない。
綺麗事を言う奴はいると思いますが、まあ結局誰もやってない。という結論ですからね。
打ち合わせでよく、ソーシャルグッドという言葉を聞きますけどね。聞くだけです。
目先の業績を上げなきゃいけない。目先の業績とキャッシュフローを増やすのが大好きです。

ルールで許されてるから。と言って攻めずにのんべんだらりと過ごさなきゃいけない人間に
なりたくないのです。意見を言わずに黙っていた方が出世するんじゃないかと考えるのに近い。
逃げるは恥だが役に立つ、的な思考回路は捨てて、余力があるのなら余力のない人のために動く。ちゃんと勝って上に行こうぜ。

特に違法でもないから、やってもいいんだけど、それをやるとカッコ悪いから俺はやらない。
と言う感じでの「あえてやらないことに対する基準を自分の中で自分に課して、それを守る」ことが、プライドがあるって言うんだな。その基準のレベルが高い人を、プライドが高い、っていうんだろう。
そういう人は、やってから、不本意でしたが・・・とも言わないだろう。わざとだよバカヤローでいいと思うからだ。

ちゃんと、めんどくさがらずに社会の潮目を見て、自分のやれることをプライド高くやっていくことが50代の目標かもしれないなと、これを書いてて思いました。

まあ、よくてあと20年地球に生息できればいいですが、そうもいかないでしょうから
しかもその20年もあっという間に過ぎちゃうんでしょうから。

変な忖度して嘘ついて、人質に取られた家族を助けるために、ダラダラボールを回して
生きるんじゃなくて
徒党を組まないでも生きていける技術と力を残り時間で爆発させてみたいものです。
あ、俺、家族いねえんだった。気楽なもんです。

まず、「そうですね」って言え。

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プロデューサーとして駆け出しで売り出し中のころ、
カンヌ広告祭に行く機会に恵まれました。

カンヌに着いてホテルのロビーにいたら
その当時メチャクチャ売れてて、いい仕事していて、威張っている感じの
他の会社の名物プロデューサーに声をかけられました。
「おう、お前が櫻木か、最近名前聞くなあ、生意気なんだって?」

プロダクションのプロデューサーは、実は他社のプロデューサーとの
横のつながりはあまりありません。
引き抜きやプロダクション間の移籍の疑いがかけられるし
いろんな機密を持っているので、他の会社の人と仲良くするのは
よくないとされていました。
コンプライアンスにうるさくなった今でもそうですが。

そういう意味で、他社のプロデューサーの話を聞ける機会は
飲み屋でたまたま出会うか、日本から遠く離れたカンヌ広告祭ぐらいしかありませんでした。
カンヌでのプロデューサーの役割は、建前は広告の勉強ですが、実は営業です。
勉強しにきている広告代理店のクリエイターの世話をする。というのが
ほとんどの目的です。夜に活躍するのを期待されています。

泣く子も黙るプロデューサーと聞いていたMさんに声をかけられて
これはチャンスだと思いました。
「Mさん、会社違ってやりにくいとは思うんですけど、
カンヌにいる間、Mさんに付いて回ってもいいですか?」
と頼んでみました。何をどうするか豪腕プロデューサーの行動を見たかったからです。
「お、いいよ。うちの会社にそんな事言う奴いないからついてこいよ」

その日から、ずっとその人の付き人みたいになってついて回りました。
期待した通り、いろんな人と会わせてもらい、情報の収集の仕方をみせてもらい
その情報の使い方まで見せてもらい、
そして毎日朝までどこかのホテルのバーで飲み明かしました。

そこで、いろんな人と飲むなか、Mさんがどんな事を話題にしてどんな調子で
人と接するのかじっと観察していました。
なるほどそういう言い方するのか。とか参考になる立ち振る舞いが沢山あって
ワクワクする毎日でした。
観察するだけだとつまらないので、いろんな自分の意見も積極的に言って
話題が盛り上がるように頑張ってみました。
何というかMさんと話す人はみんな饒舌になり、Mさんは話題を振ると
そのあとは聞き役に回り人から話を引き出すのが上手い人だなと思っていました。

そうやって数日過ごし、何日か経った日の夜に
「おう、今日は二人で飯食おう」とMさんが言いました。
ご飯を食べながら、Mさんが「どうだ?なんか参考になってるか?」
と聞きました。
「はい、もちろん。いろんな人との会話の流れで、ああ、こういう話し方
すればいいんだなあ。とか色々わかってきました。ありがとうございます」
「その割には、お前、進歩しないよな」
「え?」
「お前さあ、自分の悪いとこがわかってないだろ。俺はお前と数日過ごしてみて
お前のいろんなことがわかったよ。お前はいろんな事をちゃんと知ってて
自分の意見もはっきりいうし、トゲがあって結構おもしろいんだけど、
そういう人間が一番気をつけなきゃいけないことがポッカリ抜けてんだよ」
「はあ?」

「解んないか?じゃあ教えてやろう。
お前の悪いところは、人の意見が自分と違った時に、違いますよ、とか
そんな事ないですよ。とか、顔をしかめながら、すかさず言うよね。
まずそれを全部やめろ。
人がなんか言った時の最初に言わなきゃいけない一言は。
『そうですね』だけでいいんだよ。
人の言った事をすぐに否定して自分の持論を展開すると、誰もお前の意見
なんか聞いてくれないんだよ。聞きたくねえし。
人はな、自分の意見を否定されるのが大嫌いなんだよ。
お前に自分の意見を否定された奴は、お前なんか若造に否定される覚えはない
と思ってお前と話したくなくなるんだよ。逆にお前が自分の意見を
「そうですね」って聞いてくれた時は、若くてもプロのお前が自分のいう事を受け
入れてくれたって嬉しくなるもんよ。
わかる?立場を自分に置き換えてみればわかるだろう?

だから、お前は、人がなんか言ったらまず一言目に「そうですね」って言え。
反対意見がある時は「そうですね」って言った後に一呼吸入れろ。
それができないと、お前、ただでさえアクが強いんだから、あの野郎って
嫌われて終わっちまうぞ。

ショックでした。おっしゃる通りだ、と思ったからです。

Mさんと数日過ごして自分が感じたMさんの印象は、何でも見透かしたように
怖いけどとっても話しやすい人だなあと思っていました。
それが何なのかもわかりました。
僕が何を言ってもMさんは、一言目はまず「そうなんだよ」だったからです。
それが嬉しくてベラベラ喋ったんです。そうか、そういうことか。
みんながMさんには嬉しそうに話をする。
僕が口を挟んでも盛り上がらないことがある。
最初は、Mさんは名前があってこの仕事も長いからみんな一目おくんだろう。
俺なんか駆け出しだしなめられてるんだろうなあ。と思っていました。

そういう具体的じゃない違和感がありましたが、それすら勘違いだった。

お前は、人がなんか言ったらまず一言目に「そうですね」って言え。

この言葉は、一瞬で僕の人格を改造できるくらいの破壊力がありました。
そう言う発想がありませんでした。突っ張らかっていたのでしょう。

東京から遠く離れたフランスのカンヌで、他社のプロデューサーに指摘された
コミュニケーションのやり方の間違い。
その後のプロデューサー人生で、どれだけこの言葉に救われてきたか
言うまでもありません。
仕事にかかわらず、誰に対しても気をつけなければいけなかったからです。
自分の子供さ加減を思い知らされた一言でありました。

しいとこいっぱい事件

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ずいぶん前のこと、プロデューサーだったけどまだ若い頃。
ある企業のコマーシャルフイルムを制作しました。
フィルムが完成して、企業の宣伝部に試写をした時に
宣伝部の一番偉い人、宣伝部長がNGを出しました。

最後の子供のナレーションの部分
「いいとこいっぱい!」が「しいとこいっぱい!」にしか聞こえない。
それを至急直せ。ということでした。
偉い人以外の人が「いいとこいっぱい」にしか聞こえませんよ。と言ったのだけど
一番偉い人が、「絶対違う」と言い出しちゃったので仕方ない。
すぐに改定作業をすることになりました。納品の日も迫っています。

監督に連絡して、事の経緯を説明したのですが、「意味がわからん」と取り合って
もらえません。「俺には、いいとこいっぱい!にしか聞こえん」と
「僕もですよ。バカくさいんですけど、やんなきゃいけないんですよ。」
と監督に泣き言を言ったら
「バカくさいって何だ?仕事もらっといてバカくさいとは何だ?
そのバカくさいのから仕事もらってるお前もバカくさいって事だ。
俺は、そのバカくさいお前の言うことは聞けん。お前が勝手に治めてこいよ。
テイク変えたりするんじゃねえぞ。okテイクはそれしかないからな」

あーあー、頼みますよ。余計こじれてしまいました。

その日に録音のスタジオに急遽入り、あまりの急さに代理店の営業の人一人と
僕、録音のミキサーの方だけでの作業です。助けてくれそうな人がいない。
そこに、オンエアの日も迫ってるし、急だからその場で判断したい。
と珍しく宣伝部長がこられることになりました。

いいとこいっぱい!の「い」の音を上げたり、音楽とナレーションのあたりを少しずらしたり 音楽のレベルを下げたり。いろんなことをして宣伝部長にお聞かせしたのですが、
何故だか全然納得してもらえません。
しまいには、監督がダメだと言った別テイクも試して見たんですが、宣伝部長は
「やっぱり、しいとこいっぱい!にしか聞こえないんだよなあ」と

困ってしまいました。打つ手がねえぞ。

見かねた宣伝部の方が
「部長、僕にはどう聞いても、いいとこいっぱい!にしか聞こえませんが
これでいいんじゃないですか?」
すると、すかさず宣伝部長が怒り出し、
「俺には、しいとこ、にしか聞こえないんだよ。俺がダメなもんはダメだ」
と怒鳴り出す始末。

どよーんとした空気が録音スタジオに漂って、みんな無言になってしまいました。

広告代理店の営業の方は、
「櫻木さん、子供たちを呼んで、撮り直しはできますか?」と
そうですね、そのスタンバイをしなきゃいけないかもしれませんね。
今日にでもプリント作業に入らないとonairに間に合わなくなっちゃいますもんね。

困ったなあ。どうしよう。
宣伝部長はものすごい不機嫌になっちゃって、スタジオのソファで
「どうすんのよ?どうすんの?時間ないんじゃないの?」って怒っている。
ミキサーの人は「どうします?」みたいな顔でこっちを見ている。
さっき発言した宣伝部の部下の人は、すみませんすみませんって感じ。

最悪や。どうする俺?

何をしたらここが収まるのか?頭の中でいろんな仮説を立ててみました。
その中の一つ
「宣伝部長は、自分の言い出した事に、
みんなに反論されて引っ込みがつかないんじゃないか?」説。

僕は、その場で思いついた作戦を試してみる事にしました。
少しリスキーだけどその方が効果があるかもね。

「宣伝部長、どこかで耳がいいとか言われた事ないですか?
健康診断とかで聴覚検査されたことありますよね?」

「なんだよ、俺の耳がおかしいって言ってんのかお前!」

「とんでもない。だから逆ですよ。聴覚検査でたまにいらっしゃるんですよ
なんというか、耳の能力が普通より高くて、犬笛とかの周波数帯まで
聞こえちゃう人間。もしかして部長はそう言う人なんじゃないか?と」

「・・・・」

少しの間沈黙が流れました。あー失敗か?
代理店の営業の人は、なんてこと言い出すんだ?と、すごい形相で僕のことを睨んでる。
録音のミキサーの人は、バカめ、と声に出さずに笑ってる。肩が震えている。

すると、宣伝部長が
「んー、実はそうなんだよ。俺、ちょっと耳がいいらしくてさ。
人の聞こえない音を拾っちゃうんで、結構気持ち悪いことがあってね。
病院で検査したらさ、そう、犬笛?あれを聞かされてね。かすかに聞こえたのよ」

「ほらね、そうでしょ」

「そうか、そう言うことか。普通の人には、いいとこいっぱい!に聞こえてるんだ。
だったらいいよ。これでok。もとのミックスで進めてくれる?
みんなやけに俺だけ変だ、みたいに言うからさ。
そうなんだよね、俺、耳が良くてさー、後はよろしく。」
と言ってサクッと帰っていかれました。

ミキサーが「お前は詐欺師か?」と言って大笑いしましたが
僕は本気でしたよ。ギリギリですよ。ほんと。

仮説の通り、宣伝部長は振り上げた拳のおろしどころを見つけられなくて
苦しんでいたんだと思うのです。
そこをもっと早く、拳のおろしどころを作って差し上げなければいけなかったのです。

その時思ったのは、誰が何を言っても、いろんな作業をしても振り下ろせなかった拳は
ちょっとキャッチーなネタで包んで上げないといけないだろうと言うこと。
ちょっと変ですが、こちらへどうぞ。

それがリスキーでドキドキしたんですが、宣伝部長はその突飛さと面白さを
理解して聞いてくれたんだと思うのです。別に耳なんか良くなかったんだと思うのです。
わかったよ。だったらいいよ。そう言う事にしといてやるよ。と。

いろんなことが起こります。話を前に進めなきゃいけないので。
これもプロデューサーの仕事であります。

できないかもしれないという不安

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働き方改革が叫ばれて時間がたってきましたが
画期的なアイディアとか、劇的な変化とか出てきたのでしょうか?

僕のいる会社はかなりそこを重視していて随分働き方も変わりました。
新しいルールがどんどんできていきますし、
新しいメンバーで仕事をすることも増えてきました。
いいことだと思います。
僕の若い頃に、それやって欲しかったなあと思うようなことも多々あります。

CMプロデューサーやプロダクションマネージャーは会社に所属している人が
多いんですが(最近はかなりフリーランスの方に助けてもらいますが)
それぞれが人気商売です。同じ会社に所属していても個人に仕事の話が来るので
人気のある人とない人では随分仕事の量が違います。違うものでした。

自分がプロダクションマネージャーの時には、比較的人気のあるプロデューサーに
つくことが多かったため、とにかく家に帰れませんでした。
家に帰らないと一番困るのは風呂です。

会社のトイレの手を洗うための洗面所で全裸になって、蛇口からお湯を出し
撮影の時に持っていく小道具ボックスの中から、セットの床とかを拭くための
ウエスと言われるボロ布を引っ張り出して丁寧に洗い、体を拭いていました。
お風呂に入ってるような、「あーん」という声を出しながら体を拭くだけ。

よくわからない、水のいらないシャンプーという商品があり、どういう原理かわから
ないままシャンプーした気になっていましたが、あとで粉みたいなものがボロボロ
頭から出てきてキモち悪かった覚えもあります。

常に5~6本以上の企画が同時進行していた覚えがあります。

働き方改革に伴うルールの変更を見ていて、そしてそれに対応する若い子達を
見ていて、あの頃の自分と結構違う空気感が流れているのを感じるのです。
その正体が何だかわからなかったのです。

若い奴らに、トイレの手洗いで全裸になって体を拭くような生活をしないと
一人前にはならないぞ。と言いたいわけではありません。やって欲しくない。

実は、あの頃でも帰ろうと思ったら帰れたからです。
自分が納得しなかった。まだやる事があるはず。まだやれる事があるはず。
抜けたことはないか?改良できる点はないか?そういう気持ちでした。
それが何だったのかというと、僕にこの仕事は難しすぎて
「できないかもしれないという不安」といつも戦っていたということだと思うのです。
そして、できなかったら嫌だ。かっこ悪い。と思っていたということになります。
いまでもそうですね。昔ほど怖くはないけど「できる」という過信は持てないのです。
毎回違ったことをして、一度やったことは絶対にやらない仕事だからそう思うのでしょう。
ビクビクしていました。だから帰れなかった。

不安に思うことはあまり良くないことかもしれませんが、危機感と緊張感は
常にあるべきです。
プロデューサーやプロダクションマネージャーの仕事で
「できない」ということは、コミュニケーションでの失敗を意味します。
スタッフ全体の意思統一ができていない。とか、次何を撮影するのかわかってない
とか、何を待ってるのか、誰もわからないまま撮影が中断しているとか。

特にプロダクションマネージャーは、監督とスタッフの間で、監督の希望を
自分の中に一旦取り込んで、予算やスケジュールのフィルターを通してから
「こうしましょう」と説得力のある言葉で技術者に伝える。という技が必要です。
監督には監督の都合。カメラマンにはカメラマンの都合。があるように
プロダクションマネージャーには大きな都合があります。咀嚼プレイをしなきゃいけない。

最近の現場を見ていると、その意識が少し薄いような気がするんです。

例えば
現場を仕切っていたのはプロダクションマネージャーだったはずなのに
最近の現場にはフリーの「助監督」がいる事が多いです。これまたフリーで
助監督をやれるような人はめちゃくちゃ優秀な人たちなので、バンバン仕切る。
いてもらうととっても助かるし、プロデューサーとしては随分助けてもらっています。
プロダクションマネージャーとしても、とっても楽ができます。

ただ、自分が今、プロダクションマネージャーだったとすると、悔しくないのかな?と
思う時があります。自分の言葉と態度で現場を仕切る。かっこよくコントロールする。
無駄なことはさっさとやめて、監督も納得して時間内に終わらせる。
現場を仕切っているのは俺だ、金を握ってるのも俺だ。という中心を示す。
レンズのサイズを見てカメラに写っている範囲を理解して画面ギリギリに
カチンコを入れて、片手で打つ。みたいな事も含めて。
予算も自分で仕切って組んだところに収まるようにする。そういう事が僕には快感だったからです。

毎日寝ないで仕事をする。というのは美徳でも何でもありません。
仕事が遅いだけかもしれない。能力が無いと思われるかもしれない。
仕事の量をセーブされるのは本当にいい事だと思うのです。人気商売だったとしても
健康に生きるために仕事をしているわけですからね。
病むほど働く必要はない。

その反面、お金をもらってやっていることは、お金を払った人を満足させて返さなきゃいけないのは変わらない事だし、自分がお願いして集まってもらったスタッフに「いい現場だった」と思って帰ってもらいたい。

だから、「できないかもしれないという不安」という危機感と緊張感を常に持つべきです。
何とかなるっしょ。は間違いです。多分。
自分の言うことがちゃんと伝わらないかもしれない。という危機感は、常に相手側に立って
自分の言うことのわかりやすさを追求しようという態度を生むからです。

意図的に仕事の量が減らされるならば、それをチャンスと捉えて、じっくり一つ一つ不安を消していく作業をするべきだし、自分の仕事の質を上げる楽しみを持ってたいものです。

その意識がないと「働き方改革」に失敗して、仕事が減った分、給料も減るでしょう。
怠け者を量産するだけの、レベルの低い、魅力的ではないCM制作現場を生み出すことになってしまうような気がするのです。 作られるCMのレベルも然り。

「働き方改革」は仕事の量を減らそうという改革で、仕事の質を下げてもいい、という話ではないからです。そういう意識でプロデューサーがプロダクションマネージャーをリードしていくべきです。


信頼の継続

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とある漫画を読んでいたら、登場人物のセリフに

“信頼”っていうのは、“この人は既に全力を尽くしているのだ”と認めるとこからじゃないの?

というセリフが出てきてハッとしました。
信頼についてこんなに具体的に言い表されて、腑に落ちた事が今までなかったからでしょう。
加えてこのセリフには今抱えている大きな問題が解説されているような気がしたのです。

CMの企画を考えるとき、ブランドとかブランディングとかブランド化するとか
そう言うことが良く出てきます。で、よく悩みます。ブランドってそもそもなんだ?
と。
で、考えました。自分で好きで使ってるブランドと呼ばれるものが何故ブランド
なのか?色々考えて出た僕なりの定義は、ブランド=信頼の継続、でした。

信頼し続けているもの。僕は好きになった物はそればかり買うので、それが何故か
を考えたら、デザインは自分の気分にいつもあっていて、使い勝手はいつもいい。
そうくるよねーという技術革新がある。全力でモノ作ってやがるな、と感じられる。
とか考えていると、これはファンでもあるし信頼してるんだな、と。
それを長い時間感じられたから他は買わないんだ。少しお高くても買うんだ、と。

一発カッチョいいCMを作ったところで、ガラッと企業のイメージを変えて成功するなんて
できないんじゃないか?その企業が売ってるものやサービスが買う人に信頼されていて、それが
長続きできないとブランドにはなり得ないんじゃないか?
時間というか、付き合いというか、思い出の歴史が必要なんじゃないのか?
実は、どの仕事でもそうなんじゃないか?

映像業界は、今は、一般に出回る機材の技術の革新で、プロだかアマチュアだかわからない人が
結構いい仕事するようになって、今までプロでございますって顔した中で半端な仕事しかしてこなかった様な人は、あまり大きい顔できなくなってきました。

東京にいなくてもインターネットのおかげで、今までメディアというものに縁のなかった人でも
自分の作品を発表して、不特定多数の、いや、世界中の人の目にみてもらうことが出来るようになりました。

写真の世界は今、まさにそう。
フィルムで撮影してる頃は、ライティングの基礎などをちゃんと学ばないと
ちゃんと写りませんでした。少なくともお金貰うレベルの写真は撮れなかったのです。
デジタル機材の発達のおかげで、スマホで撮影された写真の中にもハッとするようなものを
SNSなどで見かけるようになりました。当然撮影した後の補正も自在になりました。
辛い下積みなんかなくても、そこから出てくる時代の空気をつかんだ若い才能もいるんです。
それをちゃんと引っ張り出す目利きのような人もいる。

プロのカメラマンじゃなくても、旅行先で写真を上手く撮って、ストックフォトなどのサイトで
有り素材として売ってる人もかなりいます。そこそこ需要があって、儲かる人もいるそうです。

デジタルの機材で撮影したものをインターネットのサイトで販売する。
お医者さんや弁護士さんみたいな免許商売で無い限り、
センスがあれば、素人でも、副業でも、そういう事でお金を稼げる時代になってきました。

動画の世界ではユーチューバーと言われる人たちが近いかもしれません。
と書いていて気づきましたが、ここにこうやって偉そうに文章を書いてる僕も
文章を書くということについてはズブの素人です。発表する場所と機会をネットに得ただけ。
なんだ、俺か。本気で書いてますけどね。毎回。

とにかく、そうやって、いろんな仕事でプロとアマチュアの境が曖昧になって来ています。
悪いことではないとも思うんですけど。
ただ、僕は、本業の、もう28年もやっている、テレビコマーシャルを作る仕事で、
周りの素人さんに簡単に立場を奪われるようなことがあってはならないのです。
でも、それは、ないとも言えないのです。
作品を発表する場所を得た、今まで埋もれていた才能が既に出てきてるし、
これからボコボコ出てくると思うのです。
そんな人たちを発掘して機会を作るのもプロデューサーという職業だからですね。

いろんな人がいろんな形で世に出てきて、アマチュアがプロを食ったりしながら有名になったり
ごちゃごちゃになっている状態がまさに今かもしれません。
これが、もう少し時間が経ち、表現や技術がもっと進んでいくと、やっぱりまた乖離が始まって
新しい分けられ方でプロとアマチュアの境界線がぼんやり出てくるんじゃないかと思います。

その時、プロの側でいられるために何が必要なのか?

「“この人は既に全力を尽くしているのだ”と認められる事」
だと思うのです。プロとしての信頼です。

全力でそのことをやっていると、その人のオリジナリティが生まれてくる。
オリジナリティを出すには全力で何年もその事をやらなきゃいけない。
そのオリジナリティを、他人が金出しても買いたい、というレベルに維持しなきゃいけない。

それが簡単にコピーやダウンロードできないようなものになれば、
簡単には真似のできないオリジナルなプロになれるんじゃないだろうか。
才能とかセンスとか運とか世情とか気分とか、全力でやってもどうにもならないものも有りますが。
「才能」の意味は、「寝ても覚めてもやっていられることを無意識に見つける力」
だと、なんかの本に書いてありましたから、全力を尽くしている状態、と近いですね。
逆に一瞬、パッと輝く事ができたとしても、続かないとやむなく廃業しなきゃいけないし。

何だかんだ色々言いながら、結局プロフェッショナルは、全力を尽くす仕事を
継続できている人しか残れないということなんでしょう。

“信頼”っていうのは“この人は既に全力を尽くしているのだ”と認められること。
それを継続させる気力と体力を身につけること。途中で放り投げたりできないと覚悟する事。
他の人が難しすぎて手を出せない領域に挑戦し続けてものにするとか。
全力の結果、発注主や見てくれる人に対して納得力がちゃんとある事。メジャー感か?

信頼の継続。こんなに難しいことも他にありませんが、やらないと飯が食えませんね。
お金をもらって依頼されて、自分の技術を売る。それを生業にする。ということですから。
サラリーマンも一緒ですね。サラリーマンでもプロのメジャー感とオリジナリティは求められます。自分がブランドで居られるか?恥ずかしい言い方ですが実はそうですね。

実はこの話は、このセリフが出てくる漫画の作者の方と、実際にお話ししていて出てきた考え方です。みんなに聞いてもらいたいほど面白かったので今回書かせていただきました。
おかざき真理さん、ありがとうございました。

カラオケスナックにて

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うちのバスケ部、ロックスには「カラオケ部」があります。
つまり、バスケ部のメンバーでカラオケ好きな数人でたまに歌っているだけなんですが、
極力、カラオケボックスみたいな閉鎖された店には行かないことにしています。

うちのメンバーは役者やモデル、歌手、ヘアメイク、カメラマン、建築家、映画監督、いろんな
職業の人がいるんですが、仕事にも私生活も共通して大事なことは「人を喜ばす」ということです。
これからの表現者も多いので、全然知らない人に自分の歌を聞かせて盛り上げられるか?
というテーマで、カラオケスナックや大箱のカラオケ屋に行って他人の前で歌う事にしています。
それを「試合」と呼んでいます。全然知らない新しい店に入ることを「アウェイ」と呼びます。
「アウェイ」のはしごをした時は「修行」になります。

モジモジしてた建築家を鍛えて面白い男にするために始まりました。アウェイ試合。

先日、バスケの練習の日、帰りに晩御飯を食べた後、「試合すっか」という話になって
恵比寿の広いカラオケ屋に行きました。 大きいワンフロアにテーブル席が5つくらい。名物のじいさんが店長の店です。
古くて雑で、きたなーい店なんだけど安いからかいつも満席。
どこで知るのかオーストラリア人の観光客の集団がボンジョビを歌いまくっている時もあります。そんな店。

L字型のフロアの角にカラオケの機械とモニターがありそれを中心に両壁際にテーブル席がある。
僕らは5人で端っこのテーブル。隣は会社帰りのような女性3人。反対側にはもうすでに
ベロベロのサラリーマンの集団2組って感じ。

「まず行かんかい、建築家!」って事で修行中の建築家が最初に井上陽水を歌い出しました。
すると隣のテーブルの女子3人が少し騒がしくなりました。応援してくれている訳ではありません。建築家の歌のボリュームに合わせておしゃべりのボリュームをあげたのです。 話の内容は会社で自分の仕事ぶりを評価してもらえないことへの怒り、みたいです。丸聞こえ。
歌う気はまるでないです。3人で力強く会話しています。

遠くのテーブルの客は建築家の陽水を喜んでいます。

「歌いづらいっすねー」1曲歌った建築家が悔しそうです。
「よかよか、そういうこともあるくさ。もう一曲行って黙らせんしゃい」
と建築家2曲目、沢田研二。意地になってきました。建築家、歌声がでかい。
選曲が古いのは全体の客層を見ての彼なりの作戦です。

おしゃべり女子軍団、全く聞く気なし。おしゃべりのボリュームをまた一段階あげてきます。
「あんたんとこチーフは松本さんでしょ。ちゃんと言ったほうがいいよ、松本さんにー」
「言ったってしょうがないよ。なんにもわかんないんだから、あのじじい!」
「ちゃんと会社で主張しないとあんただけ損してるんだよ!松本さんはダメよ!」
めちゃくちゃうるさくなってきた。カラオケの音量を超えて話そうと彼女らも必死です。

すげえなこの人たち、おしゃべりしたかったらカラオケ来ないで居酒屋いけよ。
チーフの松本さんも大変なんだろうなあ。
2曲目もかき消されてしまいました。
その後、反対側のテーブルの人たちが昔のアニメソングで盛り上がってる時もお構い無しに大声トークは続きます。

「仕方ねえなあ、俺が一丁黙らせてやるか」と矢沢の曲を入れて、カラオケの機械まで行ってマイクのボリュームを上げました。うちの集団はお決まり事で、タオルの代わりにおしぼりを投げます。 一生懸命歌いました。「乗ってくれッ、カモン、ハーハッ」わざわざ大きく。
それでも3人組は負けじとボリュームを上げてきます。もう叫んでるとしか思えない話し方。
「だからさー、あんたんとこの新人もバカばっかりでさー、松本さんも注意しないからさー」
「ぎゃー、マジであいつムカつくー、殺したいー死んでほしー」 物騒な話になってきました。

もう敵わないなあと諦めかけた時に、「ここ、ちょっとうるさいねー」と言って女子3人が帰って行きました。客がみんなで拍手で送り出しています。おつかれさん。うるさいのはあなたたちよ。 まあ、ちゃんと言えばよかったんですが、
「すみません、楽しく歌ってるのでそんな大声でお話ししないでいただけますか?」って。
いつかはわかってくれるだろうという淡い期待と、彼女たちの怒りのエネルギーの激しさで
怖くて言えなかったのです。
彼女らも、最初は歌いに行こうと思ったんでしょう。話しているうちにエキサイトした。
ある話題に触れて、思い出しむかつきして引っ込みがつかなくなったんでしょう。
歌なんてどうでもよくなった。そういう事だと思いたいです。

建築家は 「ああいうのでも歌で黙らせるくらいの歌、うたわなきゃいけないですね」
と、残念そうにぼそっとつぶやきました。やる気はなかなかしっかりしてきたね君。
「無理だよ。ああいうの、無神経だもん」「カラオケ店に失礼ですよね」
「無礼だよな」みたいな会話になって、ふと思いました。

ああいう人たちは今まで何十人も見てきました。若さや時代、世代のせいではありません。
昔からいる。おじさんたち、おばさんたちにもよく見られる光景。
他人のやってる事なんかどうでよくなっちゃう人たち。
カラオケスナックからカラオケボックスに人気が移っていったのも少しわかります。
そういう人がいると、全く関係ない他人と空間を共有しながら歌を歌うのはきつい行為です。
一緒になって盛り上がる時は全然知らない人とその場限りの絆すら芽生えるんですが。

カラオケスナックに来て一曲も歌わないで、マイク越しの他人の歌より大きな声で喋り合って、
ここはうるさい、と悪態ついて帰る人たちはすごいと思った。
それはそれで何をしようと勝手なんですけどね。勝手なんですけど、なんというか
自分だけ居るわけじゃない。

というように大したことのない場所で、無神経な人が増えたように感じるのです。
なんでだろう?電車に乗ってる時や、コンビニにいる時や、
全然関係ないやつが書き込むSNSの意見にもイラっとすることが多い。
いい歳したおっさんにも多いし、周りの見えてない若者にも多い。

作為的にやってるなら大したものだと思いますが、どこかのオリンピックとサイバーセキュリティ担当大臣とか。レンポウサン。 また、わざわざテレビで取り上げることか?と思うような、バイトテロのバカ動画なんだけど、それを、普通にやっちゃいけないんだとなんでわからないのかが不思議ですね。

失礼と無礼と非礼という言葉がある。

「失礼」は、礼儀を知っているのにかかわらず、失っている状態。礼儀を欠く。
もともとはあった礼儀が無くなっている様子。

「無礼」は、礼儀を知らない状態。礼儀をわきまえないこと。 怒ったり悲しんだり、感情的になるくらい礼儀を外れているときに使います。

「非礼」は、礼儀に背くこと。礼に従わず、反抗したり反対したりしている様子。
もっとも礼儀を外れた状態。 と書いてあります。

だから
失礼<無礼<非礼
の順番で意味が重くなって行きます。

実は仕事で失敗して謝りに行くときに、自分の失敗が
「失礼」なのか「無礼」なのか「非礼」なのかちゃんと把握して
謝罪の言葉の中に織り込まないと、受け取る側が神経質な常識人だったときに
怒りを増幅させることになることがあります。

失礼なことしてないか?無礼じゃなかったか?非礼な振る舞いではないか?と
自分の行動に神経を使いながら道を歩かなきゃいけないんだと思うのです。
特に、「酒の席は無礼講」ってのは嘘ですからね。酔っ払いで失うものは大きいです。

非礼は殴られても仕方ない。失礼は怒られても仕方ない自覚がある。
この中では無礼が一番ダメな感じがしますね。無自覚に礼儀を欠くから。
無礼は無神経です。悪いことしたと思っていない。鈍いのです。
「ここちょっとうるさいねー」といってカラオケ屋を出る奴、は鈍いと思う。
自分のことばっかりな奴がいっぱいいます。
遊んでる時のことなのでどうでもいいと言えばどうでもいいんですけどね。

お前がいうなって感じですが。

元号が変わるから

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もうすぐ平成が終わります。
これを書いている時点でまだ新しい年号は分かっていません。
平成が終わるから、に呼応するように、今まであって当たり前だった
建物、物、お店、人がなくなったり辞めたり引退したりしているような気がします。

平成が終わる時は、昭和が終わる時のように喪に服す必要がないですね。
ただただ新しい時代の幕開けを喜べばいいんです。
平成が終わるという事が一昨年決まって準備期間ができた。
これで踏ん切りをつける人が沢山いて、建物の老朽化と人の高齢化で
昭和の後半からやってきた商売を引退しようという人が沢山いるような気がします。

新しいオリンピックのために古いオリンピックの時にできたものが建て替えられています。
歩道橋は街のバリアフリー化という考え方から否定されて全国で撤去され始めている。
恵比寿の名物カラオケスナックミッキーも閉店。名物の喫茶店や洋食屋さんなんかも
どんどん閉店していく。寂しい限りです。

僕は平成元年に東京に出てきました。20歳でした。
平成は、自分が実戦に突入した時期で、ボクの人生の丸ごとに当てはまります。
そして50歳になりました。昭和で過ごした20年より平成で過ごした30年は
色んな事がありました。番組などで色んな特集が組まれているのでいうまでもありません。

東京に出てきたあの時から世の中は随分変わりました。インターネットと外国人。
ベルリンの壁がなくなりソ連が崩壊したところから平成は始まりました。
あれからロシアも中国も中東もどんどん変わって世界情勢が変わりました。
日本のサッカーがW杯に出るのが当たり前になり、大リーグに沢山の日本人がいて
日本人がやったことのなかったことを次々に成し遂げていったのも平成でした。

そんな中、まだ日本人は頑なに変化を拒んでいるような気もします。
変わる必要がないと思っている人たちがいっぱいいるのも事実だと思うのです。
嘘ばっかりついている大人もいる。都合と建前がバレないとでも思っているかのようです。

実際は世の中の新陳代謝が急速に進んでいるような気がしませんか?
宮城県に女川という街があります。
東日本大震災で壊滅的な被害を受けて住宅の7割が流されてしまった街です。
そこで復興のテーマになったのは、「若者に託す」ということだったそうです。
『復興に約10年、まちづくりの成果が分かるのに、さらに10年かかる。だから、20年後に責任がとれる30代、40代にまちづくりをまかせて、還暦以上は口を出さない』と決めたそうです。 結果、色んな人やアイディアやお金が集まり、急ピッチで新しい考え方の素晴らしい街づくりが進んでいるそうです。

この感覚が大事なんだなと思いました。
女川は大人たちの判断で若者に復興を任せると決めたそうです。

20年後の未来を見て今を判断する。そういう考えかたはできているのでしょうか?
そろそろ、日本全体でも平成に生まれた人たちに任すべき事が多いいんじゃないか?と。
平成の終わりに引退を決意した人たちは、そこを思ってるんじゃないか?あとは任せたよ、と。
そういう意味ではこの年号が変わるタイミングは若い人たちにとっては
とても大きいチャンスなんじゃないかと思えるのです。

その反面、この10年の日本の社会的価値観は、「冷笑主義(シニシズム/Cynicism)」が高まっていると言われています。
「冷笑主義(シニシズム)」は、社会や権威には冷めた目線で接し、先のことを深く考えるよりも、今の状態を楽しもうとする価値観だそうです。 これは団塊ジュニア世代を中心に広がっている気分で、「積極的に社会に関与する」意識から「社会とは一定の距離を置く」意識の方向へ変わっていってるそうです。 実際、明るい未来が描きにくい、この10年の社会状況の変化。いよいよ実感が増してきた人口減少や少子高齢化社会、年金問題。震災や環境問題の深刻化に伴う社会不安が強烈にある。 つまり、一生懸命やってもいい事ないじゃん、って気分になってるってことか?
わからなくもないけどいいことでもない。

変わる必要がない、と思っているあと5年で逃げ切れる人たちの中に、20年後のことをおもんばかっている人がどれだけいるんでしょうか? 既得権益者がなかなかどかないから、どっちらけちゃって若者が逃げ出したくなってるんじゃ
ないんでしょうか?どこが民主主義だこれ?ってことも多いし。

今50歳の中途半端な僕の世代は、悪くなっていく世の中をなんとか変えてやろうと思っていてもできなかった不甲斐ない世代です。見て見ぬ振りしていた感が強い。その後悔はあります。 その結果、一億総中流社会だったのが、格差社会です。中間がいなくなった。
総じて貧乏になってきたのは、外国の人が物が安いと言って日本に来るようになったことでわかります。
「科学の力は、仕事を楽にして生活を豊かにしてくれる。にもかかわらず、私たちは幸せになっていない…。それは、私たちが科学の使い方を知らないからだ」とアインシュタインは言いましたが僕の世代はまさにそういう世代。若者ほどネットやパソコンに精通してないし、AIに仕事してもらうんじゃなくて仕事を奪われる心配をしている世代です。

だから、ある一定の準備期間をおいて、一気に矢面に立つ世代を若返らせた方が多くの人が幸せになるんじゃないかと思うのです。おっちゃんたちは、若者が困ってなんか聞きにきたときだけ口を開くというスタンスで。 おっちゃんたちも何もしなくてもいいと言うわけではありません。
若者に決定権を持ってもらう、というだけで、これまでの経験や知恵は、その若者たちの
判断に十分に役立てればいいんです。新しければなんでもいいというわけじゃないけど
老朽化したシステムは、元号が変わりオリンピックやろうっていうこの時期に大きく変わるチャンスだと思うのです。

そうなったら、俺どうしようかな?中途半端な年齢だな。
若者たちのためにもうチョコっと頑張るか。既に老害か?これを書きながら悩みます。
新しい年号は何になるんだろうなあ?「光」って字が入っていたら
頑張れるような気がします。あほくさ。

表彰してあげるということ

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冬のハワイに行くと、海に入るより楽しみなことがあるのです。 ハワイ大学のバスケットボールの試合を観戦しに行くことです。 大学のバスケの公式戦といっても日本の大学の試合とは全然違うんです。

ハワイ大学のチームはNCAA全米体育協会のディビジョン1(トップリーグ)に所属する強豪チームで、多分、全日本より強いです。レインボーウォーリアーズというチーム。

円形のドーム型体育館も1万人くらいの収容キャパがあり、でかい。 重要な試合にはTV中継も入る。チアリーダーやブラスバンドの応援、マスコットキャラクターやハーフタイムのショー、大型のモニター掲示板など、プロさながらの演出で試合を盛り上げ、地元のファンも一気にヒートアップする。NBAにも負けてないくらい盛り上がるんですねー。

今年も11月の頭にハワイに行く機会があって開幕戦を見てきました。 会場の入り口から自分の席に向かう通路の結構な距離を歩いたのだけど、その通路にズラーっと人物の写真と名前と年代、競技の種類が示された額縁が並んでいました。ハワイ大学のスポーツで活躍した選手の額だそうです。

羨ましくなっちゃいました。

こんな立派な体育館に顔写真入りの額が飾られたらそれを支えに一生頑張れるよなあ。そんな気分になったのです。

アメリカには個人を表彰する文化があります。 アメリカは小学校の時から年がら年中、生徒を表彰するそうです。 いろんな賞があり、ちゃんとした立派な表彰状をもらえるらしい。 総合の成績優秀者から各教科の優秀者。皆勤賞。行儀や態度のいい賞。 目標を達成した賞、人助けした賞。僕っていいやつだよね賞なんかもある。 学校によって違うみたいだけど、ほとんどの学校で表彰を重視しているみたい。

生徒一人一人が必ず少なくとも年に1つか2つの賞をもらえるようになっているみたいですが、表彰式には親も呼んで、校長先生から賞状を貰う、ちゃんとしたものなので、子供がとても誇らしくしていると聞きました。

アメリカの友人が自分の子供のアワードを誇らしげにfacebookにアップしたりしてるのを見ると、親もまた認められたような気になるんだなあと。

日本人の感覚から言うと誰でももらえるんだから価値はない、となりそうですね。褒められたくてやってるんじゃねえ、みたいな。照れちゃって。

人間には「承認欲求」があるそうです。 誰かから認められたい、という社会生活をして行く上での欲求ですね。 難しいことを調べると色々細分化して考えられるそうですが、早い話が「よくやった」と大勢から褒めてもらいたい、という欲望。

アメリカはそういうことがとても上手です。 ちゃんと一人一人に光をあてる、個人を讃える、という考え方がヒーロー主義の国でかっこいいと思うのです。

どうしようもなく辛い現実にぶち当たってもう死にたいと思った時、死なないでいいよと助けてくれるのはキラキラした過去の思い出だけだと思うのです。いいことがあった。いい気分になったことがある。それだけが、もっといいことがあるかもしれないという希望みたいなものになるんじゃないかと思うのです。「承認欲求」が満たされたことがある。これが大事なことだと思うのです。

日本にはそれが圧倒的に足りない。 表彰される人はいつも表彰されていて、表彰されたことのない人はいつも表彰される人を俺には関係ねえよ、という気分で見ていなければいけない。 表彰される人を讃えるという気持ちすら持ち合わせていないかもしれない。 一度でも表彰されたことがあると、自分が表彰されなくとも他人を讃えてやりたいという気持ちが芽生えるものだけど、そういう人の数が少ないのだろう。

たまに表彰されたとしてもチームだったり、さらには個人を表彰するのに罪悪感すらあるのは何故なのか? 表彰されない人が可哀想だと言って表彰自体をやめてしまったりする。運動会で走っても順位をつけたがらなくなった。病気か?そう言う嫉妬や妬みでひねくれた暗い国だ。それでも夢を持てと言われても子供も困るだろう。

アメリカの小学校で全員が表彰されるとしても、与える側は、全員のいいところを一人一人、1年中探していなければいけない。表彰する側も大変なのである。それでもその努力を惜しまないだけの価値が生徒一人一人のためにあると思っているから、表彰をやめようという考えは浮かばないのだと思う。

あの立派な体育館、ハワイ大学マノア校のアリーナの通路に顔写真を飾られたら、一生誇らしく生きていられるだろうし、悪いことなんかできないだろう。(たまに間違う人もいるかもしれないが)

広告業界にはコマーシャルフォトという雑誌がある。 今月の作品みたいなコーナーに、毎月のちょっといい出来のCMと老眼の人には見えないくらいの大きさでスタッフリストが載る。 僕がこの仕事について、初めてこのスタッフリストに名前が載っているのを見たときは、喜びを隠して同じ本を3冊買って帰り、家に帰って飛び上がって喜んで何度も眺め、一冊を付き合っていた彼女に胸を張って渡し、一冊を田舎の親に送った。 「ああ、これでちゃんと生きていた証拠が残せたなあ」と思ったからだ。 すげえ嬉しかった。今でもそのコマフォトは大事に持っている。

コマフォトには誰だって載るのだが、学校で表彰されるあの感じだと思う。 今でも載ってると少し嬉しい。

頑張っている人をちゃんと見つける文化になればいいと思うのです。

なんの根拠もありませんが

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なんとなく最近思うことがあって、なんの根拠もありませんが書いてみようと思います。

いつになってもどこに行っても「不安」は消えないんです。 でもその不安の原因を突き詰めていくと、多分、老後に破産してしまうんじゃないか? 仕事やめなきゃいけなくなってから食っていけるだろうか? という不安が圧倒的に大きいような気がします。

僕は奥さんも子供もいませんからまだ無責任にこんな事言ってられるんでしょうけど。 子供がまだ小さかったり、いっぱいいたりする同僚は大変だなあと思うのです。 そういう人たちに言うと怒られちゃうかもしれないですが。

僕はよく物を買います。

身体壊しちゃうくらいお酒を飲んだり、ギャンブルしたり、キャバクラにハマったり、は一切しないですし、まずいご飯は嫌いだけど、グルメでもない。 車の運転は下手だし緊張するので車も持っていないし。 前に書いたようにお一人様だから自由になるお金は多分同世代の平均より多いです。

だから、かっこ悪いけど買い物大好きです。

買い物で一番楽しいのは買うか買わないか悩んでる時と、買うものを決めて探している時だと思うんです。 インターネットは、いまやそのためにはものすごく有能なツールです。 何か必要になって、欲しくなって、その物について調べている時にいろんな情報に出会います。それも楽しい。 世界中から送ってもらう事ができるし、いらない知識ばかり増えていきます。

よく買うのはスニーカーで、僕がお店で靴を買う様を見て、「ティッシュを抜くように靴を買う」と表現した人がいて、上手いこと言うなあーと感心した事があります。 そう言う時も、実はすでに徹底的に調べています。 欲しいと思う靴と出会ったとこだけ見たら、確かにティッシュを抜いているように見えるかもしれませんが、そうでもありません。

自分の中にある、その物を買うか買わないかの基準は、それを買ったら「気分が上がるか、上がらないか」です。 買いたい物のことを調べて、いいんじゃないかと思ったら、それでどれだけ楽しくなるかを考えます。想像するっていうか妄想するんですね。本当に欲しいものはどんどん欲しくなるしいらないものは欲しくなくなっていきます。

欲しいと思ったものが何日かたつと欲しくなくなる感覚は、寂しさを伴った安心のような気持ちなんですが、 実はその気分があまり好きではない。

欲しいと思ってそれを欲してる状態がやっぱり気持ちいいからです。 何も欲しくない時は、元気がない時やそれどころじゃない時が多いからかも知れません。 まあ、ものだけじゃなくて旅行やコンサートや映画を見るのもそうなんですけど。

日本に住んでるからこんな事言ってられるんだろうなあ。 平和でバカみたいですね。 幸せなバカですが。本当に平和な場所で暮らしてるなあ。

そして最近思うのは、お金は使うと戻ってくるということ。 根拠はありませんが。

家を買って、大きい借金をした時は大きい仕事が増えたりします。 頑張らなきゃなあ、と本気で思うからなんだと思います。 気合いが電波となって人に伝わる。 ちなみに2回買ったマンションは、2回とも買った時より高く売れました。 使わないと当たらないラッキーもあります。

Facebookに、買ったものを自慢に見えないように苦労して、アップしたりすると、その物に関連した仕事が舞い込んできたりします。 不思議だなあ、と。 よく考えると、買った物について楽しそうに語っていると、「ああ、君、そう言うのにも詳しいの?」と思う人がいて、たまたま担当してたりすると声をかけてくれるのでしょう。 そう言う意味でCM作る商売はいい商売ですね。趣味の情報が、仕事に活きる知識になる時がある。 いらないと思いがちな知識もあながち無駄じゃない。

田舎の母親は、たまに会うと、 「貯金ばせんばいかんばい」といつも言います。 「少しはあるんだよ」 「ハワイに行きたくていつも500円玉貯金してるし。 2年で30万円貯まったんだよ」と。 「そげんことじゃなかばい」

僕が2年浪人した時、父親から、 「お前が浪人しなかったらベンツが買えた」と怒られましたから、本当は自分の物買ってないでお金を返さなきゃいけないんですね。早いうちに返さないといなくなっちゃうし。

そう思いながら、こんな風に自分の物欲を正当化することを気楽に書いていますが、生活が楽しくなって元気が出るなら、お金は使った方がいいなあとも思うのです。 「なんかあったら」とその「なんか」を特定できないのに漠然とお金を貯めるよりは全然いい、と僕は思います。

冒頭に書いた「不安」、つまり老後の生活のため、病気の心配などは本当に拭い去れないんだけど、楽しくなることを我慢して、老後の病気に備えたりしてたら何が楽しくて健康に生きてるのかがわからなくなるという不安を産むんじゃないかと不安になります。

そんなの、人それぞれですからなんとも言えませんけどね。 貯金が趣味の人もいらっしゃいますから。 好きなことやってればいいだけですな。

自分は、なんかにお金を使う事で「快適に暮らしたい」の他に、「新しい何かに出会いたい」と思ってるんだと思います。 本を買うときとか旅行に行く時のそういう気分。 自分で稼いだ金で、元気なうちに新しい何かに出会って自分の可能性がもっと広がったような気分になる。 日々の寂しさや漠然とした老後の不安に勝つ、自分の手法なんじゃないか? それが自分にとっての散財の快楽なんじゃないか、と消費の欲求を正当化してしまうんです。

それどころじゃない人もたくさんいる中で呑気な話ですが。

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